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今週は、今年お送りしたものの中から、職人さんの心に残る言葉の数々を振り返りました。
■月曜日 「そば 川むら・越康次さん」(2005年5月23日〜27日)
JR日暮里駅西口近くのおそば屋さん「川むら」の4代目ご主人、越康次さん。
「川むら」の創業は明治初期で、現在の日暮里にお店を移して約80年になります。おいしいと評判のおそば屋さんで、わざわざ遠くから訪れる方も多く、食事時には行列ができるほどの名店なんですね。
ご主人本人がおっしゃっていましたが、10数年前まではどこにでもあるような普通のおそば屋さんだったそうです。「お店のお客さんよりも出前の方が多い事もあった」なんておっしゃっていたんです。
それが、10数年前のある時期、出前はそれなりにあったんですが、お客さんが減ってしまいまして、経営の大ピンチになってしまったんですね。
その時、お店の再興をかけてご主人が選んだ道は…「出前をやめる」
出前をやっていた頃は “つなぎ” を多めに入れて時間が経ってものびにくいおそばを出していた。お店で出すのも同じ蕎麦だったので、蕎麦の風味としては、ちょっと…だったんだそうです。
そこで、売り上げの大きな割合を占める"出前"を捨てて、「川むら本来の蕎麦に戻して、お客さんに足を運んでもらえるようにしよう」という決断をなさったんですね。原料のそば粉、蕎麦の打ち方、つゆの味などにこだわり、また独自のメニューを開発したりと、努力をかさねて、次第に繁盛してきたんだそうです。
■火曜日 「篠原風鈴本舗・篠原儀治さん」(2005年6月13日〜17日)
夏に耳から涼しさを求める風鈴。元々は音がきこえる範囲には邪気が入ってこられないという魔除け道具だったんだそうです。戦前は、日本各地でいろんな風鈴が作られていたそうです。地方によって作り方や素材にそれぞれ特徴があったようですが、○○(どこどこ)風鈴と地名で呼ばれることはなかったそうです。そこで、昭和30年代に江戸時代から作られていた江戸の風鈴」ということで、篠原さんが江戸風鈴と名付けて作るようになったそうです。
篠原さんは、とってもドラマティックな人生を送って来られた方。
戦地に出征した同じ部隊で、生きて帰って来られたのは篠原さんを含めてたった3人。復員後は、燃料と原料が手に入らないことからガラスの仕事もままならず、その後、やっとの思いで起こした工場も火事で失い家業は倒産。
家族5人、4畳半一間の間借り生活から再出発。一所懸命に風鈴職人として働いて、江戸風鈴を世に広めました。
長年に渡っての伝統文化への貢献が評価されて「名誉都民」として表彰もされました。今ではお孫さんも技を継いでいらっしゃいます。
■水曜日 「田中製簾所・田中義弘治さん」(2005年6月20日〜24日)
江戸簾職人4代目、簾作り50年のベテラン田中義弘さん。
簾は「御簾(みす)」とも呼ばれ、平安時代から宮中や神社・仏閣などで、部屋の間仕切りや日よけに用いられてきました。田中義弘さんは御簾を作る専門職人「御簾師(みすし)」の技を今に伝えています。
今、手作りで簾を作っているのは、全国でも20軒程、東京では数軒だそうです。伝統の技を継ぐ後継者不足が問題になっていますが、田中さんのところでは息子さんが5代目をシッカリ継いでいますし、通いの職人さんも何人かいらっしゃいます。取材に伺ったときは若い女性が仕事をしていました。
職人さんの修行といいますと、「技は盗むもの」とよく言われますが、田中さんはご自分なりの育て方で、後継者の育成に心血を注いでいらっしゃいます。
「教えることは2度習う といって正確なことを教えなきゃならないから、もう一回噛んで含めて見直すでしょ。教えるというのは自分にとっても凄くいいことです。「やってみて、言って聞かせてやらせてみて、ほめてやらねば人は動かぬ」という言葉があるでしょ。仕事というのは好きにならなきゃできないね。自分も簾がいやだったけど簾が好きになって、簾をやる以上は「自分にできない簾はない」というぐらい徹底的にやろうと思いました。私にとって簾は人生です。」
世の中で売られている簾のほとんどが東南アジアからの輸入物のようですが、やっぱり田中さんの作った簾の質の良さ一目瞭然。現代的な新しい簾製品の開発にも取り組んでいらっしゃるので、「田中さんがいる限り江戸簾の世界は大丈夫」、そんな気がしました。
■木曜日 「深澤やすり・深澤敏夫さん」(2005年7月4日〜8日)
江戸やすり職人3代目、深澤敏夫さん 63才。
15才で父親である2代目に弟子入り。たくさんの兄弟子達から高度な技術指導を受け、難しい作品に挑戦し続けた結果、今では特注品・一点物などを作る第一人者となっています。職人さんの間では「ヤスリで困ったらとりあえず深澤ヤスリに相談」というのがお約束になっているそうです。
芸術家のお得意さんもたくさんいて、展覧会や個展に招待されることもあるそうです。「芸術作品や他の職人さんの技や奥底に、自分のヤスリが役立っているのかなぁ〜と思うと、やっぱり気分はいいね〜」と深澤さんはおっしゃっていました。
■金曜日 「町田桐箪笥・町田金三郎さん」(2005年8月1日〜5日)
桐箪笥職人・町田金三郎さん。
町田さんは御年73才。普通ですと、リタイヤ生活というお年ですよね。
まだまだ現役で頑張っていらっしゃいますし、息子の好男さんが、しっかりと技を継いでいます。
お父さんの金三郎さんと息子の好男さん、職人の親子ならではの「いい関係」なんですよね。息子さんについてうかがったところ…
「あいつは気むずかしい男でね、身の回りでもなんでも、いつも小ぎれいにしているんですよ。作る箪笥もきちんとしてる。やっぱりその人そのものがでるんです。「ちきしょうめぇ、せがれの作った箪笥ほうが調子いいなぁ」と思うこともあります。やっぱり、年を取ると仕事が下手になりますよね。うちの親父が70代ぐらいだったかな、仕事が段々あらくなっていきまして、よく親父に言ったものです。「親父、あらいよ!こんなガタガタじゃしょうがねえだろう!」って。するとね「何を言ってやがる!教えたやつに文句言われてたまるか。馬鹿らしくてやってらんねや!」って親父がどなってましたよ。」
好男さんにも話を聞いたんですが「手際のよさは、親父にはかなわない」とおっしゃってました。身近にいいライバルがいて、お互いに技を認め合っているというのはいいですね。
| そば 川むら・越康次さん
篠原風鈴本舗・篠原儀治さん
田中製簾所・田中義弘治さん
深澤やすり・深澤敏夫さん
町田桐箪笥・町田金三郎さん
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