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11月21日(月)〜11月25日(金)
今週は墨田区押上に籐工芸作家・小峰尚(おみね・しょう)さんを訪ねました。
小峰さんは昭和7年浅草生まれ。昭和20年、籐細工職人の伯父さんと一緒に長野に疎開したのが縁で、籐家具づくりをはじめたそうです。籐家具は“東南アジアからの輸入品”というイメージが強いので、「籐細工は伝統工芸品ですよ」っていわれるとかなり意外です。
『竹だと思う方が多いんですが、籐は日本で取れない熱帯植物なんです。籐を説明するとき「竹冠の藤ですよ」といいますが、藤の仲間じゃありません。時々「日本にも籐がはえてる」というかたがいますがそれは絶対ありません。
日本で取れない物で何で日本の伝統工芸なの?と思いますよね。最初は遣唐使によって籐を使った武具が持ち込まれたんですね。室町時代になって中国との交易で籐製品が輸入されるようになり、その後、江戸時代に入ると素材が輸入され、編笠・笛・筆・尺八等をつくる部分的な材料として使われ、明治時代以降は敷物や座布団、枕として広く普及したんですね。それが戦争を境にして籐家具作りの形が大きく変わったんです。決定的に違うのは椅子の造作・デザインですね。進駐軍がフィリピン日本に進駐してきて、米軍の将校が籐家具を使っていたんです。米兵好みのデザインに変わったんです。』
小峰さんのお話を伺っている間、何度と無く「職人になって60年間、ずっと同じ事やってきたワケじゃない」という言葉が出てきました。時代とともに無くなってしまう商品も多いので、常に「今どんなものが求められているのか」ということを気にかけながら、新商品を開発しているそうです。ご本人は「私は職人なので、本来は品物を売るのは苦手なんです。でもお客さんの声を直接聞きたいので、デパートの実演販売などはどんどん出るようにしています。」とおっしゃっています。
小峰さんの工房では、伝統の技を生かしながら、新しい時代の籐製品を製作しています。やはり「お金や時間がかかっても、いい籐家具を求めたい」という方も多く、オーダーメイドの注文が絶えることは無いそうです。
『自然材を使う仕事は、人間同士のコミュニケーションと同じだなと思います。
自然材は非常に癖があるんですよ。一本一本癖があって、対峙した瞬間、その材料を見抜かなきゃならない。癖がよければ対話でいいですが、あるときは癖が悪い。その時は真剣勝負ですね。難しい仕事もあります。これだけ仕事やってても、井の中の蛙だなぁと思い知らされることもあります』
小峰ラタン株式会社 http://www.omine.com/
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