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11月7日(月)〜11月11日(金)
今週は台東区東上野「種谷製作所」を訪て、3代目当主の種谷吉雄さんにお話を伺ってきました。 「うちは簡単にいうと神具仏具製作の木工所です。時代ごとなんですが、御神輿ばかり作っていた頃もあったし、仏壇や位牌ばかり作っていたこともあったし、お宮ですとか、ホテルや結婚式場の神殿ばかり作っていた時代がありました。時代と共に無くなっていくものもあるので、何でも作れるようにしておくというのが父の方針だったんですね」
種谷製作所が手がけたものは、数え上げればきりがないんですが、たとえば・・・、
「明治神宮参道の灯籠」「日枝神社の鳳凰御輿」「神田神社の大御輿」など。
種谷さんは、神田の御輿店「宮惣」宮惣六世という肩書きもおもちです。「御神輿を作る職人さん」なんていうと、江戸に何代も続いている家なんだろうなぁと思いますが、実は、吉雄さんで3代目。初代の豊次郎さんは石川県七尾の出身で、輪島塗や仏具製作を修得して、大正7年に上京し浅草で開業したのが種谷製作所のはじまりなんだそうです。二代目・吉次さんは大正一五年生まれ。昭和19年海軍に志願入隊。復員後は、父親に弟子入りする形で神仏具職人の道に入り、平成16年3月に亡くなるまで名人と呼ばれました。
「聞いた話ですが、仕事を始めたばかりの父はあまり熱心では無かったようです。私が言うのもなんですが、親父は二枚目でした。日活俳優なみですよ。そんな人なのでカッコマンだったんだと思います。こんな古くさい仕事はイヤだと思ってたって言ってました。それがですね、僕は戸籍上は次男、赤ちゃんの時に死んだ長男がいたんですね。戦後まもない昭和22年の事だそうです。親父はかなり悲しんだようで、その時おじいちゃんが「これを拝め」っていって自家製の位牌を一つ渡したんだそうです。「うちの仕事は人に拝まれる物を作る仕事なのか」と。まだ食料もままならない時代に人は亡くなった家族のために、仏壇や位牌を買い求めようとしていたんですね。父は自分が作っているのは意味がある品物なんだって、その気になって仕事をやり始めたそうです」
「それから全国のお寺や神社を巡って、スケッチから図面取ったりして勉強したみたいです。私は三人姉弟の男一人なんで、自分でも跡を継ぐのが当たり前と子供の頃から思ってたんですが、高校の時に父から「この仕事は大変だぞ。何かやりたいことがあるなら、他のことやっていいぞ」って言われました。僕としては心外で、「苦労はいとわない」といってこの道に入っちゃったけど、大変苦労しましたね。神仏具の基本は社寺建築ですが、セオリーの中にも時代ごとの流行があったりするので、基礎となる社寺建築を勉強して、あとは一生自分なりの感性を磨いていくことが大事なんです。父はその苦労を自ら実践していたので、私に釘をさしたんでしょうね」
取材におじゃましたときは、新しい御神輿を一基製作中。そして預かって修理中の御神輿が一基ありました。
御神輿は20年〜30年ごとに修理が必要なんだそうです。漆を塗り替えたり、金物を磨いたりすると、新品同様に生まれ変わります。「時代が付いた立派な御輿が修理に入ってくると、その時代の職人さんの真剣勝負の後が垣間見えてゾクゾクすることがある」とおっしゃっていました。
「(息子が私の後を継ぐかは分かりませんが)未来の職人に笑われない仕事をしなければ、って思いますね」
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