|
|
|
|
|
10月24日(月)〜10月28日(金)
今週は江戸和竿(えどわざお)の職人さんです。江戸和竿作りには四つの名門の家・四名家と呼ばれる系譜があるだそうです。四名家の一つで、江戸和竿協同組合の理事長をお務めになっている「竿忠・五世四代目 中根喜三郎さん」を訪ねました。
中根さんは江戸和竿の名家「竿忠(さおちゅう)」の三男として昭和6年に生まれました。竿忠は長子相伝(長男のみ後継者と技を継がせる)の家。子供の頃はまったく親の仕事に興味を持っていなかったそうです。では、なぜ中根さんが竿忠を継ぐことになったのか、、、。
「私の家は8人家族だったんですが、この前の大空襲(昭和20年3月10日・東京大空襲)で、沼津に疎開してた妹を除いてみんな死んじゃったんですね。戦後は妹とふたりだけになりましてね、それで、家のご贔屓のお客さんで、親父と親交のあった落語家の(三代目)三遊亭金馬師匠が私たちを引き取ってくれまして、妹は金馬さんの養女になりまして、それから林家三平さんと結婚して、今は根岸にいるんです。(中根さんの妹=海老名香葉子さん)それで、私は竿作りなんて気にかけたことも無かったし『竿忠は絶えた』と思っていました。金馬さんも『竿忠を継げ』とか『竿つくりをやりなさい』なんて一言も言わなかったですよ。ただ、上手に私に竿屋になるレールに乗せたんですね。有名な芸術家とか作家とか役者とか、色んなお客さんの所へ私を連れて行って「竿忠の倅が生きてた」といって紹介したんです。会う人会う人、「お前の親父はすごかった、こんなにいい竿は二度と手にすることはできない。」とか「この竿は私の宝物だから、戦争中は竿を疎開させていた。」そんな話を見聞きするうちに、無性に自分も竿を作りたいと思うようになって修行に入ったんです。
「竿忠の倅が再興すべく修行に入った」という話を聞きつけた昔のお客さんたちが「修行の役に立てて欲しい」ってんで、初代から先代までの竿をプレゼントしてくれまして、全部で100本以上いただきましたね。竿忠の竿は特に漆の仕上げなんかは特徴がありますから、とても勉強になりました。
19歳で竿の道に入って、24歳で独立したんですが、大きな看板ですから「看板に恥じない竿を作れるようになるまで竿忠は襲名はしない」と心に誓ってました。それで、18年間「竹の子」という名前を使ってまして、42歳になって5世4代目「竿忠」を襲名しました。照れくさいんですが、帝国ホテルで襲名披露をやった竿屋は私だけでしょうね。政治家の方ですとか文化人の方ですとか、親父のお客さんがたくさん来てくれました。有り難かったですね。」
〜まだまだ中根さんの半生記は続くのですが、頁の都合でこの辺りで〜
江戸和竿については素晴らしい展示施設があります。都営新宿線の「東大島駅」から歩いて3〜4分のところに、「中川船番所資料館」(江東区大島9−1−15・TEL03−3636−9091)という展示施設がありまして、ここには江戸和竿の歴史や作り方についてや、名人の手による竿の実物が多数展示されています。興味をお持ちの方は、見学されてみてはいかがでしょうか。
竿忠(中根喜三郎)
電話番号 03−3803−1877
|
|
|
|
|
|
|