「没後80年、日本点字の父 石川倉次」

番組制作担当の塚本です。

12日(金)、15日(月)と二日間にわたって、この欄では「日本点字の父」と言われる石川倉次について紹介してきました。

石川倉次が考案した六つの点の組み合わせで作る日本点字が正式に採用されたのは、1890年11月1日の事です。

全日本視覚障害者協議会」が毎月発行している「点字民報」という機関誌では、日本点字制定130周年に当たる2020年11月に石川倉次の功績を讃える特集を組んでいました。

そこには、石川倉次が考案した日本点字の特徴として、①間違えずに早く読める ②早く書ける ③覚えやすいなどの点が挙げられています。そしてその日本点字が130年間にわたって、使われていることは、文字としての完成度の高さを証明するものだとしています。

東京・文京区にある筑波大学付属視覚支援学校の正門脇には石川倉次の胸像が置かれています。

石川倉次の墓は、都営染井霊園に有るそうですが、かなり老朽化し、痛みも目立つという事で、この墓をきちんと守っていこうという動きも見られます。