「闇を照らす六つの星~日本点字の父 石川倉次」その2

番組制作担当の塚本です。

12日(金)に続いて今日も、日本で点字がどのようにして生まれたのか。

「闇を照らす六つの星~日本点字の父 石川倉次」(小倉明著 汐文社刊)を基に振り返ります。

ブライユの点字が日本に入ってきたのを受けて、倉次は日本語に合った点字の考案に取り組みます。

アルファベットは26字。それに対して日本語の仮名は48音あり、この48音をブライユの考案した6点の点字で表現するのは無理だと考えられていました。

そこで倉次は一旦、八つの点を組み合わせた点字を作成しました。

しかしこの8点点字では、世界標準になっている6点点字用の道具が使えません。

何とか6点の点字で日本語の仮名の48音を表現できないものか。

訓盲唖院の教師や生徒も加わって検討が加えられました。

そして6点点字のたたき台を作ることには成功し、更に改良を加えて石川倉次の6点点字が、1890年11月1日、正式に採用されます。

この日本訓盲点字と呼ばれる倉次の6点点字は、1901年4月に国の制度としても認められます。

デジタル図書や録音図書の普及が進む中で、これからの点字はどうなるのでしょうか。

「闇を照らす六つの星」の本は、デジタルと点字の使い分けが必要であり、石川倉次が「これこそ盲人の眼だ」と考えた点字の重要性が失われることはないでしょうと、締めくくられています。