「闇を照らす六つの星~日本点字の父 石川倉次」
番組制作担当の塚本です。
最近「闇を照らす六つの星~日本点字の父 石川倉次」(小倉明著 汐文社刊)という本を読みました。
視覚障害者と言うと、点字で書かれた本を読んでいると思われがちですが、最近は音声パソコンや録音図書の普及などによって、点字の利用率は減少傾向にあると言われています。
それでも点字図書館の関係者に聞くと、音声で本の内容を聞くのと、点字で読むのとでは大違いであり、点字は必要なものとして、今後も残しておくべきだという声が強いようです。
点字の将来を考えるうえで、先ず、点字の歴史を知りたいと思い、「闇を照らす六つの星」の本を読んでみました。
先ず、日本点字の父として紹介される石川倉次とは、どんな人なのでしょうか。
石川倉次は江戸時代末期の1859年(安政6年)に上総国(千葉県)に生まれました。16歳で小学校の教員になったと言いますから、相当の秀才だったのでしょう。
その後上京した倉次は、1880年に開校した訓盲唖院(現在の筑波大学附属視覚特別支援学校)に赴任します。
そこで倉次が目にしたものは、子供たちが木を切って作った立体的な文字を指先で触りながら、文字を勉強している姿でした。
そのころフランスでは、ブライユという15歳の全盲の少年が、六つの点で作った点字を作り出すことに成功します。
このブライユが作った六つの点による点字が、現在、世界中で使われている六点点字の原型となりました。
その後、ブライユの点字が、日本にも紹介されることになりますが、ブライユの点字と出会った石川倉次が、どのようにして日本式点字を作り上げたのかについては、次回のこの欄で紹介します。
最近「闇を照らす六つの星~日本点字の父 石川倉次」(小倉明著 汐文社刊)という本を読みました。
視覚障害者と言うと、点字で書かれた本を読んでいると思われがちですが、最近は音声パソコンや録音図書の普及などによって、点字の利用率は減少傾向にあると言われています。
それでも点字図書館の関係者に聞くと、音声で本の内容を聞くのと、点字で読むのとでは大違いであり、点字は必要なものとして、今後も残しておくべきだという声が強いようです。
点字の将来を考えるうえで、先ず、点字の歴史を知りたいと思い、「闇を照らす六つの星」の本を読んでみました。
先ず、日本点字の父として紹介される石川倉次とは、どんな人なのでしょうか。
石川倉次は江戸時代末期の1859年(安政6年)に上総国(千葉県)に生まれました。16歳で小学校の教員になったと言いますから、相当の秀才だったのでしょう。
その後上京した倉次は、1880年に開校した訓盲唖院(現在の筑波大学附属視覚特別支援学校)に赴任します。
そこで倉次が目にしたものは、子供たちが木を切って作った立体的な文字を指先で触りながら、文字を勉強している姿でした。
そのころフランスでは、ブライユという15歳の全盲の少年が、六つの点で作った点字を作り出すことに成功します。
このブライユが作った六つの点による点字が、現在、世界中で使われている六点点字の原型となりました。
その後、ブライユの点字が、日本にも紹介されることになりますが、ブライユの点字と出会った石川倉次が、どのようにして日本式点字を作り上げたのかについては、次回のこの欄で紹介します。