「日視連会長、全盲の弁護士 竹下義樹氏の足跡」②
「日視連会長、全盲の弁護士 竹下義樹氏の足跡」②
番組担当の塚本です。日本視覚障害者団体連合会の会長であり、日本で最初の全盲の弁護士となった竹下義樹氏の歩みを、「全盲の弁護士 竹下義樹」(岩波現代文庫)という本をもとに紹介しています。
龍谷大学法学部に入学したものの、当時、点字で書かれた六法全書は存在せず、竹下氏の学生生活には高い壁が立ちはだかっていました。仕送りに頼らず生活するために、マッサージの仕事で生活費を工面しながらの日々でした。
「弁護士になりたい」という夢を持って大学を志した竹下氏が、次に超えるべきハードルは、全盲の学生に司法試験の受験を認めさせる闘いでした。法務省に確認したところ、最初に来た返答は、「盲人の受験は諸般の事情により認められない」という内容でした。最初は竹下氏一人の闘いと見られていましたが、地元京都の他大学生や東京の学生の間にも、竹下氏が訴えていた「点字受験を認めさせる運動」が予想外の広がりを見せ、「竹下義樹君を支援する会」の発足へとつながります。
その頃、日本の社会福祉制度の在り方を問い直す朝日訴訟、堀木訴訟という注目の裁判が行われる中で、竹下氏は「障害者の問題を受け止めることの出来る弁護士になりたい」という将来像を描くようになります。
「支援する会」のバックアップなどもあって、1973年2月、法務省は条件付きながら竹下氏の点字受験を認める決定を下すに至りました。ここから長い司法試験への挑戦が始まります。
番組担当の塚本です。日本視覚障害者団体連合会の会長であり、日本で最初の全盲の弁護士となった竹下義樹氏の歩みを、「全盲の弁護士 竹下義樹」(岩波現代文庫)という本をもとに紹介しています。
龍谷大学法学部に入学したものの、当時、点字で書かれた六法全書は存在せず、竹下氏の学生生活には高い壁が立ちはだかっていました。仕送りに頼らず生活するために、マッサージの仕事で生活費を工面しながらの日々でした。
「弁護士になりたい」という夢を持って大学を志した竹下氏が、次に超えるべきハードルは、全盲の学生に司法試験の受験を認めさせる闘いでした。法務省に確認したところ、最初に来た返答は、「盲人の受験は諸般の事情により認められない」という内容でした。最初は竹下氏一人の闘いと見られていましたが、地元京都の他大学生や東京の学生の間にも、竹下氏が訴えていた「点字受験を認めさせる運動」が予想外の広がりを見せ、「竹下義樹君を支援する会」の発足へとつながります。
その頃、日本の社会福祉制度の在り方を問い直す朝日訴訟、堀木訴訟という注目の裁判が行われる中で、竹下氏は「障害者の問題を受け止めることの出来る弁護士になりたい」という将来像を描くようになります。
「支援する会」のバックアップなどもあって、1973年2月、法務省は条件付きながら竹下氏の点字受験を認める決定を下すに至りました。ここから長い司法試験への挑戦が始まります。