「田中徹二さんのこと」

「田中徹二さんのこと」
番組担当の塚本です。「知っていますかロービジョン」という番組を担当していながら、日本点字図書館会長の田中徹二さんという方については、何も存じ上げませんでした。
田中徹二さんは、今年3月に急逝され、月刊「視覚障害6月号では、「田中徹二さん Stand By Youの航跡」というタイトルで追悼の特集を組んでいます。
この特集で、田中徹二さんの評伝を寄稿した日本点字図書館館長の立花明彦さんの文章を基に、田中さんの生涯を振り返ってみます。
田中徹二さんは、1934年生まれ。1953年に早稲田大学理工学部に入学後、網膜剥離を発症し、あっという間に全盲になりました。すぐに点字の学習などを始め、1956年には夜間の早稲田大学第二文学部に転部、昼間は三療の資格取得のための勉強を続けました。資格取得後はマッサージ師として働いていましたが、1969年に東京都心身障害者福祉センターに転職し、点字学習などの指導に当たりました。その後、日本点字図書館に転職し、会長などの要職を務められました。
田中徹二さんは、毎年の年賀状で干支にちなんだ一首を詠まれていました。2026年の午年に詠まれた歌を最後に紹介させていただきます。
馬走る 道ある限り まっすぐと
さまざまな音に 耳傾けながら

誰にも好かれ、尊敬される田中徹二さんの生き方でした。