「戦後80年~視覚障害者と戦争」⑦

番組担当の塚本です。
視覚障害者が戦争にどのように関わったのか。
今日は「聴音兵」について取り上げます。
『障害者たちの太平洋戦争』(林雅行著、風媒社刊)によりますと、太平洋戦争のさ中の1943年に「敵機爆音集」というレコードが刊行されました。
表面には米軍の各戦闘機の爆音が収録され、裏面にはそれらの戦闘機が高度1000m、3000m、5000mの高さを飛んでいる時の爆音の違いが分かるような音が収録されていました。
このレコードは、盲学校の教材として使われ、毎日のように聞かされて、訓練したという事です。
音が聞き分けられるようになったところで、彼らは「聴音兵」として、米軍の戦闘機や爆撃機の襲来をいち早く報告する役割を担う事となりました。
しかし日本軍が視覚障害者の聴力が優れていることに着目し、聴音兵の要請に取り組んでいる時、既にアメリカ軍などでは、レーダーの開発が進み、敵機の襲来を音ではなく、レーダーでとらえる技術が実用化されていました。
時代は既に「音波」の時代から「電波」の時代に入っていたということです。
「聴音兵」の任務についた視覚障害者も、耳で戦闘機の襲来を聞き分ける技術は、実際には役立たないだろうと内心では思っていたという事です。
視覚障害者が戦争にどのように関わったのか。
今日は「聴音兵」について取り上げます。
『障害者たちの太平洋戦争』(林雅行著、風媒社刊)によりますと、太平洋戦争のさ中の1943年に「敵機爆音集」というレコードが刊行されました。
表面には米軍の各戦闘機の爆音が収録され、裏面にはそれらの戦闘機が高度1000m、3000m、5000mの高さを飛んでいる時の爆音の違いが分かるような音が収録されていました。
このレコードは、盲学校の教材として使われ、毎日のように聞かされて、訓練したという事です。
音が聞き分けられるようになったところで、彼らは「聴音兵」として、米軍の戦闘機や爆撃機の襲来をいち早く報告する役割を担う事となりました。
しかし日本軍が視覚障害者の聴力が優れていることに着目し、聴音兵の要請に取り組んでいる時、既にアメリカ軍などでは、レーダーの開発が進み、敵機の襲来を音ではなく、レーダーでとらえる技術が実用化されていました。
時代は既に「音波」の時代から「電波」の時代に入っていたということです。
「聴音兵」の任務についた視覚障害者も、耳で戦闘機の襲来を聞き分ける技術は、実際には役立たないだろうと内心では思っていたという事です。