「戦後80年~視覚障害者と戦争」③

番組担当の塚本です。
「視覚障害者と戦争」の三回目の本日も、「点字新聞が伝えた視覚障害者の100年」(毎日新聞社点字毎日編集部編 明石書店刊)を基に、先の大戦当時の視覚障害者の置かれた環境について触れます。
兵役に就かせるに当たって、戦争に派遣するのが適当かどうかを決める徴兵検査が行われていたことは、よく知られているかと思います。
徴兵検査の結果は、甲・乙・丙・丁の四つに分けられ、甲と乙のランクは、兵役に合格とされていました。
丙のランクは、兵役に適してはいるものの、現役の兵士には適さない者とされ、丁のランクは、兵役に適さない者とされていました。
丁のランクになった者は、「役立たずな存在」というレッテルが貼られたにも等しいものでした。
視覚障害者が盲目のために前線へ行って戦えないことを残念に思い、投身自殺を図ったケースもあったということです。
兵士となって戦って初めて一人前という見方が広がる中で、徴兵検査制度は、当時の日本社会で障害者差別を助長する大きな要因となったとされています。
戦場には行かず、銃後の守りに当たっていた視覚障害者も様々な形で、戦争に協力することが求められていました。
その代表的な例の一つが献金という形での協力でした。昭和15年(紀元2600年)の全日本盲人大会では、戦闘機を奉納するための募金を行うことが決議され、集まった4万8千円余りのお金でゼロ戦が献納され、その戦闘機には「愛盲報国号」という名前が付けられました。
「視覚障害者と戦争」の三回目の本日も、「点字新聞が伝えた視覚障害者の100年」(毎日新聞社点字毎日編集部編 明石書店刊)を基に、先の大戦当時の視覚障害者の置かれた環境について触れます。
兵役に就かせるに当たって、戦争に派遣するのが適当かどうかを決める徴兵検査が行われていたことは、よく知られているかと思います。
徴兵検査の結果は、甲・乙・丙・丁の四つに分けられ、甲と乙のランクは、兵役に合格とされていました。
丙のランクは、兵役に適してはいるものの、現役の兵士には適さない者とされ、丁のランクは、兵役に適さない者とされていました。
丁のランクになった者は、「役立たずな存在」というレッテルが貼られたにも等しいものでした。
視覚障害者が盲目のために前線へ行って戦えないことを残念に思い、投身自殺を図ったケースもあったということです。
兵士となって戦って初めて一人前という見方が広がる中で、徴兵検査制度は、当時の日本社会で障害者差別を助長する大きな要因となったとされています。
戦場には行かず、銃後の守りに当たっていた視覚障害者も様々な形で、戦争に協力することが求められていました。
その代表的な例の一つが献金という形での協力でした。昭和15年(紀元2600年)の全日本盲人大会では、戦闘機を奉納するための募金を行うことが決議され、集まった4万8千円余りのお金でゼロ戦が献納され、その戦闘機には「愛盲報国号」という名前が付けられました。