「戦盲歌~戦争で失明した元兵士の短歌」①

番組担当の塚本です。
見えぬ我に
涼しき音の
風鈴を
妻は買い来て
いつか吊るしぬ
ふと思う
我が名書けずに
なりてより
幾月ならん
文字の書きたし
この二つの短歌は、先の大戦で戦地で負傷し失明した元兵士が、終戦後に短歌を勉強し詠んだ歌で、戦盲歌と呼ばれています。
戦後、歌曲集「戦盲歌」として世に出た作品の中に収められています。
この「戦盲歌」を聞く集いが、今月8日(日)、東京・九段下にある「しょうけい館(戦傷病者史料館)」で開かれました。
「戦盲歌」の成り立ちなどを歌人の佐佐木頼綱さんが解説し、次いで佐佐木さんの妻である歌手の神戸薫子さんが、曲に乗せて「戦盲歌」の作品を歌い上げました。
元々、「戦盲歌」とは佐佐木頼綱さんの曽祖父であり、歌人でもあった佐佐木信綱が、戦後、陸軍第一病院で入院中の失明した元兵士らに対して短歌を教える活動を続けた結果として生まれた作品です。
そうした短歌の講義は100回を超え、毎回満席の人気を博したということです。
頼綱さんは、「言葉に出来ない悲しい出来事、その衝撃が余りに大きいと、人は言葉を失う。戦地で敵の弾丸などで失明した視覚障がいの元兵士も、なかなか現実を受け入れられなかったが、その思いを短歌にすることで生き抜いてきたのではないか」と、「戦盲歌」が生まれた背景を説明していました。
見えぬ我に
涼しき音の
風鈴を
妻は買い来て
いつか吊るしぬ
ふと思う
我が名書けずに
なりてより
幾月ならん
文字の書きたし
この二つの短歌は、先の大戦で戦地で負傷し失明した元兵士が、終戦後に短歌を勉強し詠んだ歌で、戦盲歌と呼ばれています。
戦後、歌曲集「戦盲歌」として世に出た作品の中に収められています。
この「戦盲歌」を聞く集いが、今月8日(日)、東京・九段下にある「しょうけい館(戦傷病者史料館)」で開かれました。
「戦盲歌」の成り立ちなどを歌人の佐佐木頼綱さんが解説し、次いで佐佐木さんの妻である歌手の神戸薫子さんが、曲に乗せて「戦盲歌」の作品を歌い上げました。
元々、「戦盲歌」とは佐佐木頼綱さんの曽祖父であり、歌人でもあった佐佐木信綱が、戦後、陸軍第一病院で入院中の失明した元兵士らに対して短歌を教える活動を続けた結果として生まれた作品です。
そうした短歌の講義は100回を超え、毎回満席の人気を博したということです。
頼綱さんは、「言葉に出来ない悲しい出来事、その衝撃が余りに大きいと、人は言葉を失う。戦地で敵の弾丸などで失明した視覚障がいの元兵士も、なかなか現実を受け入れられなかったが、その思いを短歌にすることで生き抜いてきたのではないか」と、「戦盲歌」が生まれた背景を説明していました。