「文化放送ディレクター・白石仁司インタビュー②」

番組担当の目黒です。
今回も前回に引き続き、文化放送ディレクター・白石仁司(しらいし・ひとし)のインタビューをお届けします。

白石ディレクターは、1967年生まれ。1991年に文化放送に入社。人間ドッグ受診をきっかけに、39歳で緑内障が分かり、「ロービジョン」をもっと多くの人に知ってほしいという想いから、2022年9月に特別番組「知っていますか? ロービジョン~0と1の間」の初回を放送しました。以降も番組は回を重ね、2025年3月には第6弾を放送しています。
今回は、そんな白石ディレクターに、私目黒が今改めて聞きたいことについてインタビューしました。
——病院探しで悩んでいる方に、メッセージがあれば教えてください。
——白石さんの中で、自分がロービジョンであるということは、自分を説明する上でどのくらいの大きさのことですか?
——最近、心身の支えになっているものやことがあったら教えてください。
「ロービジョンであるということは、アイデンティティとは全く関係がない」という白石ディレクターの言葉が印象的でした。当然のことですが、ロービジョンであるということは、その方の要素の一つに過ぎません。そのことは、一緒に暮らしたり、働いたりすれば当然だと思えると思うのですが、関わったことがないと、まるで障害がその方の「すべて」であるように感じてしまうこともあるような気がします。そのことが、「あなたと私は全く違う、だから分からない」というような分断を生んでしまうのかもしれません。
それから、ロービジョンは、一見「見えているように見える」ため、様々なことを説明しなければならない、ということも印象に残りました。日常の様々な場面で説明の必要が生じることは、決して小さなことではなく、積み重なる手間だと感じます。しかもそれは、一部の人にかたよって課されるものです。私はそのことを、説明を課してしまう立場になるときに、いつでも想像する練習をしたいと思っています。そして、もし、もっと多くの方がロービジョンのことを知るようになったら、このかたよりも少しやわらいでいくのかもしれません。
2回に渡って、白石ディレクターのインタビューをお届けしました。
今回も前回に引き続き、文化放送ディレクター・白石仁司(しらいし・ひとし)のインタビューをお届けします。

白石ディレクターは、1967年生まれ。1991年に文化放送に入社。人間ドッグ受診をきっかけに、39歳で緑内障が分かり、「ロービジョン」をもっと多くの人に知ってほしいという想いから、2022年9月に特別番組「知っていますか? ロービジョン~0と1の間」の初回を放送しました。以降も番組は回を重ね、2025年3月には第6弾を放送しています。
今回は、そんな白石ディレクターに、私目黒が今改めて聞きたいことについてインタビューしました。
——病院探しで悩んでいる方に、メッセージがあれば教えてください。
難しい問題ですよね・・・。僕は5回くらい病院を変えました。その人によって何を基準に選ぶかが違うと思うのですが、僕は色々考えた挙句、医学に関しては医者には及びもつかないので、自分が相談しやすい、人対人で話すときにどういう応対をしてくれるか、ということで選びました。
最初のころは名医と評判のところに行ったのですが、あまり質問に答えてくれなかったので・・・。それから転々として、今の病院には10年以上かかっています。
ただ、これは放送でも言ったのですが、僕は東京だったから良かったけれど、地方だと通える範囲に何件も眼科があるとは限らないので、難しいですよね・・・。
少なくとも都内にいる限りでは、自分の判断基準をどこに持つか、だと思います。応対がいまいちでも、とにかくその先生の権威や評判にかける、という方もいると思うので、それも一つですよね。
あとは、緑内障に関して言えば、今の医学の中では、処方される薬や検査はどこもあまり変わらないと感じます。だとすると、話しやすい、心のケアまでしてくれる先生の方がよいのではないかと思いますね。手術になると、技術や機器の差は出るのですが、普段の診断であれば大差はないのではないかと感じています。
——白石さんの中で、自分がロービジョンであるということは、自分を説明する上でどのくらいの大きさのことですか?
ロービジョンであるということは、アイデンティティとは全く関係がないですね。ロービジョンであるということは、必要な時だけ伝えていて、伝えなくても支障がないのであれば、伝えなくてもいい、些細なことという認識です。
ただ、人と関わるときには、伝えないとおかしなことが多くなるから、伝えざるを得ないという感じですね。日常のなかの喜怒哀楽に、ロービジョンだからということはほとんどありません。
でも、すべてつながっているので、ロービジョンであることで、好きな本やドラマなどを以前と同じようには鑑賞できなくなった、というような影響はあると感じています。
——最近、心身の支えになっているものやことがあったら教えてください。
やっぱりラジオに携われていることは支えですね。ラジオが好きなので、日常生活でもたくさん聴いているのですが、それを仕事にできていて、ロービジョンになってもまだ続けられているので、まだ自分にできることがあるな、しかもそれを楽しみながらできているのは支えだなと思っています。今も自分を頼ってくれる人、相談してくれる人はいるので、まだわずかながら力になれているなと思います。
それから、ロービジョンプロジェクトを通して出会った視覚障害の方々は、会った方のほぼすべてが、心底人生を楽しんでいる印象を受けています。自分の目がどんどん見えなくなっていって、いずれはいろんなことができなくなっていくんじゃないかという恐怖があったのですが、それでもこれだけ楽しく生きている人がたくさんいるということは、大丈夫なんだな、というか、仮に目が見えなくても、人生の絶望ということはないんだなと思い、支えられています。
あとは、目のことと関係はないのですが、子どもがいること、未来ある、自分の一番好きな子どもがどんどん成長していくことも、心の支えですね。
「ロービジョンであるということは、アイデンティティとは全く関係がない」という白石ディレクターの言葉が印象的でした。当然のことですが、ロービジョンであるということは、その方の要素の一つに過ぎません。そのことは、一緒に暮らしたり、働いたりすれば当然だと思えると思うのですが、関わったことがないと、まるで障害がその方の「すべて」であるように感じてしまうこともあるような気がします。そのことが、「あなたと私は全く違う、だから分からない」というような分断を生んでしまうのかもしれません。
それから、ロービジョンは、一見「見えているように見える」ため、様々なことを説明しなければならない、ということも印象に残りました。日常の様々な場面で説明の必要が生じることは、決して小さなことではなく、積み重なる手間だと感じます。しかもそれは、一部の人にかたよって課されるものです。私はそのことを、説明を課してしまう立場になるときに、いつでも想像する練習をしたいと思っています。そして、もし、もっと多くの方がロービジョンのことを知るようになったら、このかたよりも少しやわらいでいくのかもしれません。
2回に渡って、白石ディレクターのインタビューをお届けしました。