「専業主婦からパラアスリートへの挑戦」

番組担当の塚本です。
視覚障害者のサポート団体「NEXT VISION」が定期的に開催しているデジタルラウンジが先月28日に開かれました。
今回のゲストは、2年前まで専業主婦で、現在はパラローイングの選手としてロス・パラリンピックを目指す髙野紋子さんでした。
髙野さんは幼稚園で働いていましたが、21歳の時に網膜色素変性症を発症し、徐々に視力が低下しました。
結婚して仕事を辞め、二人の子どもを育てながら専業主婦として暮らしていましたが、2年前に神戸アイセンターを受診したところ、そこで「何かスポーツをやってみないか」と勧められます。
最初はそれほどスポーツに興味はなかったという事ですが、髙野さんはプロアスリート発掘プロジェクトに応募し、パラローイングの選手としてスカウトされました。
当時、高野さんはローイングという競技を全く知らず、「ボートとは何ぞや」と思うほどだったといいます。
初めてボートに乗って漕いでみたとき、「ボートって後ろへ進むんですね」とコーチに話したほどでした。
しかし練習を重ねるにつれ、どんどん記録を縮め、2023年には中国・杭州で開催されたアジアパラ競技大会に日本代表として参加、見事4位入賞を果たします。
現在はロスのパラリンピック大会への出場を目指して、練習に励んでいます。
網膜色素変性症を発症し、「治療法がない。将来、見えなくなるかもしれない」と言われた時は、さすがに落ち込んだそうですが、親にメチャクチャ怒られ、友人に励まされて、今の自分があると話していました。
眼が見えなくなってからのパラスポーツとの出会い。髙野さんは、「目が悪くなったことに感謝している自分に驚いている」とも話していました。
視覚障害者のサポート団体「NEXT VISION」が定期的に開催しているデジタルラウンジが先月28日に開かれました。
今回のゲストは、2年前まで専業主婦で、現在はパラローイングの選手としてロス・パラリンピックを目指す髙野紋子さんでした。
髙野さんは幼稚園で働いていましたが、21歳の時に網膜色素変性症を発症し、徐々に視力が低下しました。
結婚して仕事を辞め、二人の子どもを育てながら専業主婦として暮らしていましたが、2年前に神戸アイセンターを受診したところ、そこで「何かスポーツをやってみないか」と勧められます。
最初はそれほどスポーツに興味はなかったという事ですが、髙野さんはプロアスリート発掘プロジェクトに応募し、パラローイングの選手としてスカウトされました。
当時、高野さんはローイングという競技を全く知らず、「ボートとは何ぞや」と思うほどだったといいます。
初めてボートに乗って漕いでみたとき、「ボートって後ろへ進むんですね」とコーチに話したほどでした。
しかし練習を重ねるにつれ、どんどん記録を縮め、2023年には中国・杭州で開催されたアジアパラ競技大会に日本代表として参加、見事4位入賞を果たします。
現在はロスのパラリンピック大会への出場を目指して、練習に励んでいます。
網膜色素変性症を発症し、「治療法がない。将来、見えなくなるかもしれない」と言われた時は、さすがに落ち込んだそうですが、親にメチャクチャ怒られ、友人に励まされて、今の自分があると話していました。
眼が見えなくなってからのパラスポーツとの出会い。髙野さんは、「目が悪くなったことに感謝している自分に驚いている」とも話していました。