番組担当の塚本です。
上方落語の桂福点さんが、今年、噺家生活15周年を迎え、「翔ぶトリウィーク」と題する興行を各地で開いています。
桂福点さんは、生まれたときから緑内障で片目が失明していました。
中学2年生の頃から、病状が進行し、高校で両目とも失明します。
そのころは、まだ音声パソコンなどが無い時代で、点字の勉強を始めるなど、一からのやり直しに迫られ、大変な苦労をされます。
特に小中学生の頃は、マンガを描くのが大好きな少年で、マンガを楽しめないのが、一番辛かったと振り返っておられます。
その頃、晴眼者だった友人がバンドをやっていて、マンガが描けないなら、音楽をやってみないかと誘われ、叩けば音の出るドラムなら音楽が出来るだろうと思い立ち、音楽活動を始めたということで、YMOやRCサクセションが特に好きだったそうです。
その後、大学へ進んだ福点さんは、音楽療法士の勉強を始めました。
病院で音楽療法士として活動していた時期もありましたが、次第に「笑いの持つ力」に気づき、「自分も誰かを笑わせたい」との願望が強まり、師匠の桂福団治さんに入門を願い出て、「とりあえず預かろう」ということで、入門を許されました。
桂福点という名前は、師匠の10番目の弟子だったことから、福点(ten)と名付けられたという事です。もし2番目の弟子だったら、「桂腹痛(ツー)となっていたのか」といった話を盛り込み、高座で笑わせています。
噺家生活15年の記念興行で忙しい福点さんですが、もう一つ、「一般社団法人 お気楽島」の代表として、障がい者の暮らしを総合的に支援するための障がい者福祉サービスを手掛けています。
噺家という強みを生かして、音楽・芸術・芸能・文化などに関する支援や指導も行っています。
噺家生活15年、桂福点さんの高座は常に明るい雰囲気が特徴です。YouTubeでも楽しむことが出来ます。
上方落語の桂福点さんが、今年、噺家生活15周年を迎え、「翔ぶトリウィーク」と題する興行を各地で開いています。
桂福点さんは、生まれたときから緑内障で片目が失明していました。
中学2年生の頃から、病状が進行し、高校で両目とも失明します。
そのころは、まだ音声パソコンなどが無い時代で、点字の勉強を始めるなど、一からのやり直しに迫られ、大変な苦労をされます。
特に小中学生の頃は、マンガを描くのが大好きな少年で、マンガを楽しめないのが、一番辛かったと振り返っておられます。
その頃、晴眼者だった友人がバンドをやっていて、マンガが描けないなら、音楽をやってみないかと誘われ、叩けば音の出るドラムなら音楽が出来るだろうと思い立ち、音楽活動を始めたということで、YMOやRCサクセションが特に好きだったそうです。
その後、大学へ進んだ福点さんは、音楽療法士の勉強を始めました。
病院で音楽療法士として活動していた時期もありましたが、次第に「笑いの持つ力」に気づき、「自分も誰かを笑わせたい」との願望が強まり、師匠の桂福団治さんに入門を願い出て、「とりあえず預かろう」ということで、入門を許されました。
桂福点という名前は、師匠の10番目の弟子だったことから、福点(ten)と名付けられたという事です。もし2番目の弟子だったら、「桂腹痛(ツー)となっていたのか」といった話を盛り込み、高座で笑わせています。
噺家生活15年の記念興行で忙しい福点さんですが、もう一つ、「一般社団法人 お気楽島」の代表として、障がい者の暮らしを総合的に支援するための障がい者福祉サービスを手掛けています。
噺家という強みを生かして、音楽・芸術・芸能・文化などに関する支援や指導も行っています。
噺家生活15年、桂福点さんの高座は常に明るい雰囲気が特徴です。YouTubeでも楽しむことが出来ます。