鍼とマッサージの「ピットイン」・小泉貴さんインタビュー①

番組担当の目黒です。

今回は、東京下町で、鍼とマッサージの「ピットイン」と言う治療院を開業している、小泉貴さんのインタビューをお届けします。

小泉さんの顔写真
小泉さんは、埼玉県所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンターを2023年春に定年退職した元教官。

網膜色素変性症という目の疾患を患い、全盲の視覚障害者で、難聴もあり、補聴器もしていらっしゃいます。

大好きなモータースポーツにちなんだ「ピットイン」という店名に、生まれ育った地域の方々の心身の調整や修理を行える場所への願いを込めています。



——小泉さんの見え方について、今までの変遷を教えてください。

今の見え方は、光がちょっと分かる程度です。全体がザーっとしています。
20代くらいまでは視野がない程度で、真ん中は見えていたのですが、子どもの頃から難聴もあり、補聴器をしていて、病院で調べたところ、アッシャー症候群だろうということになっています。

耳の方は聴覚障害の手帳をとるほどではないのですが、目の方が進行していき、17〜8年くらい前から見えなくなりました。

——国立障害者リハビリテーションセンターではどんなお仕事をされていたのですか?

あんま・鍼灸の教官をしていました。あんま・鍼灸の資格を取ろうとする視覚障害の方に教えていました。

——あんま・鍼灸のお仕事に就こうと思ったきっかけは何でしたか?

自分は絵を仕事にしたかったのですが、デザイン関係の会社にいた時に、1ミリでもずれると怒られるんですね。おかしいなと思って、自分で調べて網膜色素変性症だと分かって悩んでいたのですが、1986年くらいに、中国で鍼の治療ができると知り、半年間中国に渡りました。視野狭窄はあまり改善しませんでしたが、視力が0.6が1.0になって帰ってきて、これはすごいなと思ったのですが、日本に戻ってきたら、忙しい日々や食生活でまた戻ってきちゃって、どうしようかなと思った時に、中国で出会った鍼をやってみようかなと思い、生徒として国リハに入りました。そこで、当時の先生方が教官になってみない?と言ってくれて、これも縁だと思って、教員になるための学校に進みました。

——国立障害者リハビリテーションセンターの教官を定年退職された後、鍼灸院を開業したきっかけはなんでしたか?

国リハで働きながら、患者さんの治療はしていました。やっぱり、「ありがとう」とか、「楽になりました」と言われるといい仕事だなと思うんです。日本は視覚障害者も国家資格を取れる国ですから、それを活かさない手はないし、患者さんと向き合いたいなと思って始めました。
国リハでは、今も週1回非常勤で教えています。



次回も引き続き、小泉さんのインタビューをお送りいたします。