「特番Vol.5に寄せられたメッセージ①」
番組担当の目黒です。
今日11月28日(木)から2日間にわたって、2024年9月23日(月・祝)11時00分より放送された特別番組『知っていますか?ロービジョン~0と1の間Vol.5』に寄せられたメッセージを一部ご紹介いたします。
ご紹介するのは、網膜色素変性症という進行性の難病で、30代でロービジョンとなり、50代でほぼ全盲となったという方からのメッセージです。
一部引用させていただきます。
症状が進行すると、二か月前にできていた仕事ができなくなるような状態がずっと続いて、職場で任される仕事が徐々に減ってゆき、それがなんだか「真綿で首を占められるような」感じで、じわじわと追い詰められてゆくような気がしていました。
そのころは管理職でしたが、夜遅くまでオフィスに一人で残って残業しながら、他には誰もいない部屋の中で途方に暮れていたことをおぼえています。
そして、少しずつ坂を落ちていくようなその先にある「見えなくなる」という未来の状態をとても恐れていました。
でもこれは後に「杞憂」だったと気づきました。
もしロービジョンでかつての私のように将来的に見えなくなることに恐れを感じている人がいらっしゃったら、私は「見えなくなることで不幸になるわけではない」ということをお伝えしたいです。
人はたいてい、視力が少しでも残っていれば残っている視力に頼ろうとします。
これは目を使うことを前提として生活している晴眼者やロービジョンの人が属する「見る文化」の考え方なのだと思います。
私もそうだったのでよくわかりますが、視力があるうちは視覚にたよらず聴覚や触覚などの他の感覚に頼ることは難しいのです。
でも、いざ見えなくなってみて、それに慣れてくると、不思議なことにずっと続いていた精神的な苦しみから開放されてむしろ「安心」を感じました。
たぶん私は、だんだん見えなくなる、という坂を下り続けるのが停まらないような状態に不安を抱いていたのだ、とわかりました。
坂の底に着いたら、その不安な感じが徐々に消えていたからです。
そしてたどりついた「見えない」状態に、当初はかなり戸惑いましたが、やがて視覚に頼らずに聴覚や触覚を使えば、「見えなくなったらできなくなる」と思っていたことの大半が実は違う方法で「できる」ことに気づいていきました。
私はこうして、目を使うことを前提とする「見る文化」から目をつかわない「見ない文化」へと移行していったのだと思います。
これは、生まれてからずっと住んでいた文化圏から、全く違う文化圏の土地に移住したようなものだと思います。
当初は違う文化の中でとまどいや違和感やいらだちなどを多く感じますが、やがて少しずつ異文化に適応し、それまでしっていたものとは違う文化の中の良い点に気づき始める感じです。
この方は、「見えない」状態に近づいていくうち、「見えなくなったらできなくなる」と思っていたことの大半が、実は違う方法で「できる」ことに気づいていった、「見る文化」から「見ない文化」へ移行していった、と語っていらっしゃいます。
私たちが「普通」だと思い込んでいる「見る文化」は、決して絶対的なものではありません。
「見る文化」があれば「見ない文化」もあって、どちらの文化圏に生きているかの違いに過ぎないのだと思います。
しかし、生きている文化圏が違うだけなのに、ある文化圏の人は不便を感じるような社会の仕組みがまだまだあります。
誰もが幸せに生きられる社会のために、幸せにもいろいろな体験の仕方があると知っておくことや、仕組みからして特定の人に不便がある社会になっていないかどうかを気にかけ、身体が動くときには少しずつ行動してみるということが、きっと必要なのだと思います。
今日11月28日(木)から2日間にわたって、2024年9月23日(月・祝)11時00分より放送された特別番組『知っていますか?ロービジョン~0と1の間Vol.5』に寄せられたメッセージを一部ご紹介いたします。
ご紹介するのは、網膜色素変性症という進行性の難病で、30代でロービジョンとなり、50代でほぼ全盲となったという方からのメッセージです。
一部引用させていただきます。
症状が進行すると、二か月前にできていた仕事ができなくなるような状態がずっと続いて、職場で任される仕事が徐々に減ってゆき、それがなんだか「真綿で首を占められるような」感じで、じわじわと追い詰められてゆくような気がしていました。
そのころは管理職でしたが、夜遅くまでオフィスに一人で残って残業しながら、他には誰もいない部屋の中で途方に暮れていたことをおぼえています。
そして、少しずつ坂を落ちていくようなその先にある「見えなくなる」という未来の状態をとても恐れていました。
でもこれは後に「杞憂」だったと気づきました。
もしロービジョンでかつての私のように将来的に見えなくなることに恐れを感じている人がいらっしゃったら、私は「見えなくなることで不幸になるわけではない」ということをお伝えしたいです。
人はたいてい、視力が少しでも残っていれば残っている視力に頼ろうとします。
これは目を使うことを前提として生活している晴眼者やロービジョンの人が属する「見る文化」の考え方なのだと思います。
私もそうだったのでよくわかりますが、視力があるうちは視覚にたよらず聴覚や触覚などの他の感覚に頼ることは難しいのです。
でも、いざ見えなくなってみて、それに慣れてくると、不思議なことにずっと続いていた精神的な苦しみから開放されてむしろ「安心」を感じました。
たぶん私は、だんだん見えなくなる、という坂を下り続けるのが停まらないような状態に不安を抱いていたのだ、とわかりました。
坂の底に着いたら、その不安な感じが徐々に消えていたからです。
そしてたどりついた「見えない」状態に、当初はかなり戸惑いましたが、やがて視覚に頼らずに聴覚や触覚を使えば、「見えなくなったらできなくなる」と思っていたことの大半が実は違う方法で「できる」ことに気づいていきました。
私はこうして、目を使うことを前提とする「見る文化」から目をつかわない「見ない文化」へと移行していったのだと思います。
これは、生まれてからずっと住んでいた文化圏から、全く違う文化圏の土地に移住したようなものだと思います。
当初は違う文化の中でとまどいや違和感やいらだちなどを多く感じますが、やがて少しずつ異文化に適応し、それまでしっていたものとは違う文化の中の良い点に気づき始める感じです。
この方は、「見えない」状態に近づいていくうち、「見えなくなったらできなくなる」と思っていたことの大半が、実は違う方法で「できる」ことに気づいていった、「見る文化」から「見ない文化」へ移行していった、と語っていらっしゃいます。
私たちが「普通」だと思い込んでいる「見る文化」は、決して絶対的なものではありません。
「見る文化」があれば「見ない文化」もあって、どちらの文化圏に生きているかの違いに過ぎないのだと思います。
しかし、生きている文化圏が違うだけなのに、ある文化圏の人は不便を感じるような社会の仕組みがまだまだあります。
誰もが幸せに生きられる社会のために、幸せにもいろいろな体験の仕方があると知っておくことや、仕組みからして特定の人に不便がある社会になっていないかどうかを気にかけ、身体が動くときには少しずつ行動してみるということが、きっと必要なのだと思います。