ロービジョンの写真家・豊吉雅昭さんインタビュー①

番組担当の目黒です。

今回は、“見えない視界“を表現するロービジョンの写真家・豊吉雅昭さんのインタビューをお届けします。
当サイトの「リスナーの声」にご投稿いただいたことをきっかけに、取材が実現しました。

豊吉雅昭さんの顔写真です
豊吉さんは、1975年生まれ、埼玉県出身。

緑内障による視野欠損が進行し、左眼の視野の大半と右目の視野の3割ほどを消失しています。

外科手術を受けるようになって以降、“見えない視界“を表現する作品として「MONOCLE VISION」シリーズの制作を始められました。

豊吉さんの作品は、豊吉さんの「ホームページ」でもご覧いただくことができます。



——「文化放送ロービジョンプロジェクト」はどのようなきっかけでお知りになりましたか?

ラジオはよく聴いていて、文化放送の確か”くにまる食堂”を聴いていた時の番宣で知りました。

——「緑内障フレンド・ネットワーク」を訪れたことをきっかけに気持ちが前向きになり、以前から好きだった写真撮影に本腰を入れ始めたとのことですが、「緑内障フレンド・ネットワーク」はどのようにして知りましたか?

緑内障が進行して初めて手術を受けた後、治療や生活などで相談に乗ってくれる団体を訪ねて回っていた時期がありました。インターネットの検索サービスで”視覚障害””緑内障””支援”などをキーワードに検索して見つけたうちの一つが緑内障フレンドネットワークです。

——表現活動を始めたとき、ハードルに感じたことはありませんでしたか?あるとしたら、それはどのようにして乗り越えましたか?

沢山あります。やはり眼が悪いということが一番のハードルです。写真を撮っていて、傾く・ブレる・暗すぎる・明るすぎる・ピントが合っていない・余計なものが映り込んでいても気づかない・車が運転出来ないから自然や動物は撮れない‥などなど、あげたらキリがありません。写真というのはシャッターチャンスを逃さず、絶景とも言える風景、そしてキレイな人物写真を‥と思っていましたし、今でもその考えに変化はありません。ところがある写真展で画家の方に言われた「眼が悪くなっていくのはアーティストにとって喜ばしいことだ。作品が常に変わっていくのだから」がきっかけで自分の”見えない視界”を表現することに取り組むようになりました。この時から自分の見え方が自分だけの唯一無二のものだと気づき、現在でも作品制作を続けています。ですので乗り越えた、というよりは受け入れて生かす事ができた、ということになるのかもしれません。

——表現活動を続けていて、自分にとって嬉しいことはどんなことですか?

これも沢山ありますが、一番嬉しいのは“一生懸命に、本気で取り組んでいれば必ず理解し応援してくれる人が現れる“ということです。私は元々システムエンジニアでしたので、自分自身の技術を高めて行くことに感心がありました。写真表現はどれだけ目の前のものや景色を正確に精細に写しとれるかというのが重要な要素の一つですが、残念なことに私の眼ではこれを極めるのは難しい。しかし作品表現においては如何に自分独自の表現ができるかということも重要です。私の場合は自分の“見えない視界“を表現する作品を制作しているわけですが、ありがたいことに友人知人からは“豊さんの作品は見たらすぐに豊さんのだとわかる“と言ってくれます。始めた当初は“暗い““何だかよくわからない““これは写真じゃない、加工してるんだし“と言われましたが、制作を続けてコンペティションなどで入賞するうちに“凄い““キレイ““かっこいい“など好意的な感想をもらえるようになりました。おかげで今でも続けられています。



次回の投稿でも、引き続き豊吉さんのインタビューをお届けいたします。