「戦争で失明した元海軍兵の証言」
番組担当の塚本です。
8月15日の終戦の日に、千代田区九段下にある「しょうけい館(戦傷病者資料館)」を訪ねました。
今年の夏の企画展として、「海軍、青年たちの戦争」が行われており、その企画展にちなんだ映像作品の上映会が開催されていました。
数多い映像作品の一つとして、「両眼失明が切り開いた戦後の人生」という作品が上映されています。
この作品は、戦争で米軍の爆撃を受け、両眼を失明し、戦後は鍼灸の仕事をしていた男性の貴重な証言を映像化したものです。
証言者の男性は、昭和19年6月、16歳で大竹海兵団に入り、海軍潜水学校を経て、戦艦「伊勢」に乗務。
終戦まであと三週間足らずという昭和20年7月28日に米軍の爆撃を受けて、両眼を失明するという重傷を負いました。
戦後、満足な医療設備の整っていない病院での治療生活は壮絶なものであったと言います。
この男性は、治療と並行して鍼灸の勉強をして、免許を取得。
鍼灸業を営むかたわら、戦争で負傷した軍人の補償を求める運動や、視覚障がい者の福祉に尽力しました。
私が「しょうけい館」を訪れた日、館内には小中学生の子供を連れた家族連れの姿が数多く見られました。
8月15日の終戦の日に、千代田区九段下にある「しょうけい館(戦傷病者資料館)」を訪ねました。
今年の夏の企画展として、「海軍、青年たちの戦争」が行われており、その企画展にちなんだ映像作品の上映会が開催されていました。
数多い映像作品の一つとして、「両眼失明が切り開いた戦後の人生」という作品が上映されています。
この作品は、戦争で米軍の爆撃を受け、両眼を失明し、戦後は鍼灸の仕事をしていた男性の貴重な証言を映像化したものです。
証言者の男性は、昭和19年6月、16歳で大竹海兵団に入り、海軍潜水学校を経て、戦艦「伊勢」に乗務。
終戦まであと三週間足らずという昭和20年7月28日に米軍の爆撃を受けて、両眼を失明するという重傷を負いました。
戦後、満足な医療設備の整っていない病院での治療生活は壮絶なものであったと言います。
この男性は、治療と並行して鍼灸の勉強をして、免許を取得。
鍼灸業を営むかたわら、戦争で負傷した軍人の補償を求める運動や、視覚障がい者の福祉に尽力しました。
私が「しょうけい館」を訪れた日、館内には小中学生の子供を連れた家族連れの姿が数多く見られました。