戦争中にラジオはどうあったのか。残された資料から追った

戦争中にラジオはどうあったのか。残された資料から追った

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8月9日「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送)、大竹メインディッシュのコーナーに、元NHKディレクター(昨年退職)、大森淳郎さんが登場した。大森さんは今年6月に新刊『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』を発売している。同書はおよそ5年間の連載をまとめたもので、600ページほどのボリュームがある。

大竹まこと「ぶ厚い本ですが、どうして連載は始まったんですか?」

大森淳郎「きょうは奇しくも8月9日、長崎に原爆が投下された日ですね。当時、日本放送協会(NHK)のラジオ放送というのは、広島、長崎で何が起きたのか、ということを一切報道していませんでした。逆にそのときになってもなお『一億特攻』『死ぬまで戦え』と叫び続けてたんですね」

大竹「はい」

大森「いかに戦時中のラジオ放送がひどかったか、というのは常識の部類といってもいいと思うんですね。ただ『こんなひどい番組が並んでいたよ』と羅列しただけでは、何もわからないんじゃないかと思って。そういう放送を出していたのは遥かな大先輩だった。先輩たちがどんな気持ちで、どんなことを考えてああいう放送を出していたのか、あるいは出すべき放送を出さなかったのか」

大竹「大本営発表とかを、ですね」

大森「当時の放送現場の人たちが何を考えていたのか、と分け入っていかないと、あの時代の放送から学ぶということはできないんじゃないか、というところから始まったんです」

大竹「当時のことを調べるといっても終戦、敗戦してから進駐軍が来て、駐留軍になる。証拠やそういうものを残さないように当局は立ち会ってきたんじゃないですか?」

大森「そうですね。当時、日本放送協会は内幸町にありました。その前でいろんな関係文書、ニュース原稿、放送台本、あるいは録音盤……そういうものをボンボン燃して。ビル全体が黒煙に包まれた、という証言がいっぱい残っているんです。本当に『敗戦』となった瞬間に『これはまずい』と思ったんでしょうね」

大竹「自分たちのやってきたことの資料がアメリカに渡ってしまうなら燃やしてしまえと。そうなると検証しようとしても資料や書類など、あまり残っていなかったんじゃないですか?」

大森「おっしゃるとおりです。ただその後、先輩たちが個人的に持っていたもの、あるいは古書店にあったものなど、僕なんかの先輩が集めてきたんですね。かつ、燃やされずに残ったものもある。『ない、ない』と言われるほどなくはない。それは膨大な量、といってもいいと思います」

放送では大森さんがどう資料を集めていったのか、どんな録音が残っていたのか、なども詳しく語られた。政府と放送局との関係性、戦中や戦後の放送への検閲などにも言及している。詳しくはradikoのタイムフリー機能で確認してほしい。

「大竹まこと ゴールデンラジオ」は午後1時~3時30分、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。 radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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