北京五輪の落球から15年
G.G.佐藤「自分を許すことも大事」
5月4日の『スポーツギャラクシー』は
西武、ロッテで活躍した“愛の波動砲”
G.G.佐藤さんがリモート出演。
NPB現役引退から9年、北京五輪から15年。
今あらためてG.G.佐藤さんの足跡をたどり
球界、そして日本中に
その名を広く知らしめた出来事を
真正面から振り返りました。
登録名『G.G.佐藤』の由来
G.G.佐藤さんは沖縄からのリモート出演。
日中にはSUP(スタンドアップパドルボード)を
初めて体験したそうです。
G.G.「メチャクチャ面白かったんで
千葉ロッテマリーンズの
解説の際には
SUPで乗り付けようと思います」
現役時代のG.G.佐藤さんの活躍や
“キャラクター”を知らず困惑する
久保朱莉アナウンサー。
気を取り直して、
“野球経験者の顔を見れば
ポジションがわかる”という
特技(?)を披露すべくモニター越しに
G.G.佐藤さんのお顔をチェック。
(過去のスポギャラ内では 0勝1敗)
(辻発彦さんの現役時代のボジションを外しました)
久保「ズバリ『センター』ですね。
手足の長い、スタイルがいい
ということで、フェンス際の
ホームラン性の当たりを
ジャンピングキャッチ
されるんじゃないか
というイメージでございます」
G.G.「守備がうまそうな顔
ということですね。外れてます。
最もフライを捕るのが下手くそな
元プロ野球選手です」
ゲストコーナースタート直後に
いきなり飛び出した自虐ネタ――。
なお、G.G.佐藤さんは
入団時には捕手として登録され
2年目に内野手、3年目は外野手登録。
レギュラーをつかんだ時は
主にライトで活躍しました。
『G.G.佐藤』の登録名は
2003年ドラフト7巡目で西武ライオンズに
入団時から使用。
あらためて『G.G.』の由来は・・・
G.G.「顔がジジくさいんで
昔からあだ名が
『ジジい、ジジい』って言われてて
それをもじって『G.G.佐藤』にした
っていう、あだ名ですね」
長谷川「現役時代から体重減らされて
若々しいですよね」
現役時代110キロだった体重は
現在80キロにまで落としたそうです。
お立ち立ちパフォーマンス誕生
新しい野球ファンのためにも
G.G.佐藤さんがその名を広く知られる
こととなった出来事を振り返りました。
G.G.佐藤さんの
ヒーローインタビューでのパフォーマンス
『キモティー!』の誕生には
子どもの頃から
『ヒューヒューだよ』
『マンモスうれぴー』などの言葉が
好きだったことが背景にあるそうです。
★『ヒューヒューだよ!』
1992年のドラマ『二十歳の約束』での
牧瀬里穂さんのセリフ
★『マンモスうれぴー』
1980年代にアイドルとして人気を博した
酒井法子さんの「のりピー語」のひとつ。
意味は「とても嬉しい」
G.G.「言葉フェチなところがあったんで
うれピーとか、キモティーとか
口ぐせのように
言ってたんです、昔から。
ホームランを打ったときに言ったら
周りがウケたんで
お立ち台で言ってみようと」
長谷川「当時は
パフォーマンスをする人は
あまりいなかったですよね?」
G.G.「いまでこそ
パ・リーグも人気が出てきて
全試合放送されてますけど
あの当時のパ・リーグ、
あまり表に出ることがなかったんで
何かやらないと目立たないと思って
自己プロデュースはしてましたね」
やがて、子どもの日用、赤ちゃん言葉
などのパターンも披露された
「キモティー!」。
放送では当時のヒーローインタビューを
お聴きいただきました。
長谷川「野球選手の
ヒーローインタビューとは
思えないよね」
久保「時事ネタに絡めた
『キモティー!』は常に
考えていらっしゃったんですか?」
G.G.「ちょっと頭に入れたり、
相手チームとの兼ね合いを考えて
少しは準備してましたね」
試合で活躍しなければお立ち台には立てず
パフォーマンスも披露できませんが・・・
G.G.「9回くらいで
『きょう俺行けそうだな』と
わかるんで、準備したものを
なんとか1イニングで
まとめ上げるみたいな。
そんなこと考えて守ってるから
エラーするんですよね」
北京オリンピック 世紀の落球
2008年の北京オリンピック
野球日本代表に選出されたG.G.佐藤さんは
準決勝・韓国戦(8月22日)に先発出場。
当時、西武ではライトを守っていましたが
「7番・レフト」で起用され
後逸と落球の2つのエラーを記録。
G.G.「ただでさえ国際試合で緊張する――、
プレッシャーが
かかると思うんですね。
慣れないポジション、
打球の切れ方とか違う中、
慣れないポジションを守るのは
すごく不安は大きくなりましたね」
長嶋茂雄さんも視察に訪れた
大会前の合宿初日の練習で
慣れない国際球を全力で投げた際、
肩を痛めたことから、
捕球後すぐに返球しなければいけない
という不安要素も影響を与えたようです。
G.G.「テンション上がっちゃいまして、
長嶋茂雄さん見ちゃって。
ちょっとアピールしようと
ホールぶん投げたら肩痛めまして。
いつもと違うメンタルで
守っていた気はしますね」
日本代表・星野仙一監督が
「金メダルしかいらない」と語って臨んだ
オリンピックで準決勝敗退となり、
『俺たちのオリンピックは終わった』と
気持ちが切れたというG.G.佐藤さん。
気持ちを切り替えることができないまま
翌日の3位決定戦を迎えました。
G.G.「気持ちを切り替えられずに
同じエラーをした、と。
あの時の自分に
メンタルを立て直すだけの強さは
なかったと今考えると思いますね」
3位決定戦(アメリカ戦)での
スタメン出場はないと考えていましたが
星野監督はG.G.佐藤さんを先発で起用。
しかし日本がリードした場面で
大会2度目の落球/3度目のエラーが出て
その回に同点とされ、結局試合も敗退。
韓国戦、アメリカ戦での3つのエラーは
全て失点につながり、連敗した日本は
メダル獲得を逃しました。
アメリカ戦の先発出場は
汚名返上の機会を与えたいという
星野監督の考えでしたが
G.G.さんはその想いを
のちに知ることとなりました。
G.G.「エラーした時に
監督、チームメイトは
許してくれたんてす。
『気にするな』と。
ただ一人
許してくれなかった人がいたんです。
それは自分自身です。
自分のことが許せなかったんです。
自分を責めたんです。
だから、子どもたちには
『許すことも大事だよ』と。
自分も許して
他人も許すことができれば
失敗を恐れない人間になると
思うんで」
長谷川「G.G.さんが今
そうおっしゃってくださると
ジーンと来るものがありますね」
G.G.「過度に自分に期待をし過ぎると
苦しめることにもなると思うんで、
期待をせずに
思い切ってチャレンジして、
何か起きた時には自分を許す、と。
大事だと思いますね」
最後にラジオをお聴きのリスナーの方への
メッセージをお願いすると・・・
G.G.「子どもたちよ、
夢を現実に。
鯉のぼり。
キモティーー!!」
2008年5月5日 日本ハム戦での
ヒーローインタビューを
15年ぶりに“セルフオマージュ”した
メッセージを寄せてくださいました。