「みんな勘違いしてる!」ペルーの名曲“コンドルは飛んでいく”をペルー人が歌えないワケとは?
大リーグで野茂選手が活躍した当時、『野茂英雄のテーマ HIDE〜O』が大ヒットした、ラテンバンド『ディアマンテス』のアルベルト城間さんが5月8日の『くにまる食堂』にご来店。ペルー出身の城間さんが日本で音楽活動をはじめた経緯を伺った。
邦丸「日本に来たのはどんなきっかけあったんですか?」
城間「僕は演歌歌手になりたかったんです。日本の歌といえば演歌です。日系人だけの「のど自慢大会」に始めて出たのが14歳の時ね。当時10代の頃に流行っていたのは松田聖子さんかなあ。だけど歌いたくなるのは美空ひばりさんとか、千昌夫さんとか、細川たかしさんとか、歌謡曲なんだけど民謡の歌い方。」
邦丸「こぶしを効かせた歌ね。それでコンテストで優勝しちゃったんでしょ。」
城間「そうそう、北中南米のブラジル・アメリカ・メキシコ・ペルーのみんなが集まる、パンアメリカン大会で優勝したんですよ。あの時は18歳、歌ったのは内山田洋とクール・ファイブの「逢わずに愛して」。優勝して日本への航空券いただいたんですよ。今は多分ね25万円から30万円で買えるね。あの頃は倍ぐらいした。ペルーのうちの両親は多分10年働いても貯められない。」
邦丸「じゃあとんでもない高額なチケットを手にして日本に来た?」
城間「来たのは20歳。チケットはいつ使ってもいいって言われてて、僕は建築大学に通ってたんで、演歌歌手になりたいって言ったら親父は「ダメ」って、「大学でちゃんと勉強しなさい」って。趣味で歌いなさいっていう感じでしたけど、その頃ペルーは経済とか社会がいろいろ混乱し始めた。」
邦丸「フジモリ大統領の頃?」
城間「その1つ前ね。何百パーセントのインフレがあって、例えば日本ではコーラ1本100円だったのがペルーでは4本買えた。ペルーはこうなってたけど、うちの母だけは日本に行きなさいって言ってくれた。」
邦丸「こうして演歌歌手になるため東京に来たのに、今はディアマンテスのボーカルをやってるのはどうして?」
城間「いろいろオーディション受けたんですよ。でも全滅、全部ダメ。それで東京に1ヶ月ぐらいいたかな。レッスンを受けてた先生から「東京は厳しいな。沖縄に行ってきなさい」って言われたんです。」
邦丸「ちょっとまって。東京から沖縄ってすごい距離あるよ。」
城間「だから驚いたんです。僕は日本のことで知ってたのはフジサンと、シンカンセンとサムライ。沖縄がこんなに離れてると思わないし、歴史のこととか全く知らない。こんな遠いと思わなかった。那覇についたら雰囲気も風土も違うし、まず歌手になれる場所じゃないなと思いました。それで沖縄の三線をやり始めて、徐々にラテン音楽を歌ってくださいって言われるようになったんですよ。でも、みんな「コンドルは飛んでいく」を歌いなさいって言うんだけど、僕はペルーで歌ったことなかった。」
邦丸「(笑)もうペルーの国民の歌みたいに思ってたよ。」
城間「これみんな勘違いしてます。「コンドルは飛んでいく」は、ペルーでは〇〇なんですよ。」
ところが「コンドルは飛んでいく」歌い始めると城間さんの人生は激変!詳しくはradikoのタイムフリー機能でご確認下さい。
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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