「すごいチャンス!」アイドルを夢見た畑中葉子が大物作曲家の近所に引っ越してアピール大作戦!
44年前に18歳で歌ったデビュー曲「カナダからの手紙」が大ヒットした畑中葉子さんが、10月31日のくにまる食堂にご来店。アイドルを夢見る少女時代を振り返った。
野村邦丸アナ「これが44年前の歌声。当時は18歳でこんなに大ヒットすると思っていました?」
畑中葉子「思っていませんでした。平尾昌晃歌謡教室の先輩方で、そこまで売れた方がいなかったので。」(笑)
邦丸「作曲家の平尾昌晃さんは、お隣さんだったとか。」
畑中「そうなんです。私の父は八丈島で建設業を営んでいて、その支店を出すため中学2年の時に東京に引っ越してきたんです。それで引っ越してきたマンションの、隣の隣のお部屋が平尾先生だったんです。私は歌手になりたかったから「ものすごいチャンスだ!」と思って、先生はゴルフがお好きでベランダで練習されるんですね。だから、カツーン、カツーンってその音が聞こえると私もベランダに出て「こんにちは!」とか言ってアピールするんですけど全然スカウトはされず。それで中学3年の時に原宿に行ったら、芸能事務所3社スカウトされたんです。あのころ可愛かったんですよ。(笑)そしたら父が「名刺をもらった会社はどういうところなのか、ご近所のよしみで平尾先生に聞いてみよう」って訪ねていったら、家政婦さんを介して「そんなに歌の勉強がしたいんだったら僕が麻布十番で歌謡教室をやってるから、そこでレッスンしたらどうか」と言われて、高校に入ると同時にオーディションを受けたんですね。平尾先生が私を抜擢したのではなく、生徒としてレッスンをしていただいたんです。」
邦丸「でも「カナダからの手紙」で平尾昌晃さんとデュエットしたわけですよね。他にも歌いたい人はたくさんいるのに、そこで選ばれたのはなぜ?」
畑中「平尾先生が20周年のレコードを出したいという希望があり、それとは別に、先生に海外をモチーフとした楽曲を作って欲しいという話もあったんですね。でも平尾先生はずっと歌ってらっしゃらなかったので、ビクターからの提案で「歌謡教室の女の子とデュエットする」ことになり、5人がオーディションを受けたんです。そこで私を選んでくださったのは、このあいだ亡くなられた作詞家の喜多條忠先生と、ビクターのプロデューサーである谷田郷士さん、あと第一プロダクション出版部長の3人だったんですね。先生は一切ノータッチで、後から私がデュエット相手に選ばれたことを聞いた先生は「えっなんで?」っておっしゃったそうです。」(笑)
邦丸「先生は別の子だと思ってた?」
畑中「そう!お気に入りの子がいたから、多分その子とデュエットしたかったんだろうなと思いますけど、残念でした。」(笑)
邦丸「そして「カナダからの手紙」が大ヒットして、歌番組に出まくり、 紅白も出ちゃうし、人生が変わっちゃったでしょ?」
畑中「歌手になりたいっていう夢は果たしたんですけど、忙しすぎてそういう感覚がなかったっていうか、毎日の仕事をこなすのに一生懸命でした。あの頃は歌番組もたくさんあって、そこでは必ず人の楽曲を歌うコーナーがあったんですね。だから移動の時はイヤホンをして歌を覚えながら。先輩と一緒に歌うことが多かったので間違えちゃいけないし、生番組も多いし、時間があるとレコーディングをして、本当に寝るのは3時間ぐらいでした。」
邦丸「ひえー。」
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「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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