「産経新聞に企画書を持ち込み会長の前でプレゼンを…」歴史あるフジサンケイクラシックの始まりを名解説者が語る
日本ゴルフ界のゴッドファーザーと言っても過言ではないトーナメント・プロデューサーであり、「フジサンケイクラシック」のいい声の解説者としておなじみの戸張捷さんが10月3日の「くにまる食堂」ご来店。「フジサンケイクラシック」を企画立案したきっかけを語った。
野村邦丸アナ「ゴルフファンはもうお馴染みの由緒あるゴルフ大会、フジサンケイクラシックは戸張さんが作ったんですよね。」
戸張捷「そうですね。生意気にもこれははっきりと言えます。僕は大学を卒業して、住友ゴムというダンロップ製品を作ってる会社に入りました。その当時のゴルフは、贅沢なスポーツとか遊びというイメージがあって、学生時代にゴルフやってたなんて生意気とか言われて、なんとなく肩身の狭い思いをしながらやってたんです。営業の仕事でいろんなデパートを回ってね。スポーツ売り場に行くとショーケースがあって「ここにもうちょっとうちの製品を広めに入れてくれませんか?」とか「新製品が出たときはプロを連れてエキシビションをやるので、よろしくお願いします」とか販促をしたり色々してたんです。そこでぐっと考えて「これをずっとやり続けるよりはゴルファーの数を増やした方が早いだろう」と思ったんです。当時の日本のゴルフ人口は90万人とか100万人弱だったのかな? 1万人増えれば、そのうち数パーセントは会社の製品買ってくれるし、他の会社にとってもいいだろうと。さてゴルフ人口を増やすのはどうしたらいいかなって考えて、当時アメリカは既にアーノルドパーマーとかニクラウスとか有名なプロ選手が出てきて、テレビの中継が始まって、それを見た人たちがゴルフをやる、っていう時期だったんですね。日本ではまだゴルフのテレビ中継はしてないので、テレビ放送もするゴルフトーナメントを作れば、それ見て面白いと思った人がゴルフをやるだろうと。そこで企画書をワーッと作ったけど自分の会社にそんな金出せって言えない。」
邦丸(笑)
戸張「そこで産経新聞に持っていきました。今から51年半ぐらい前、当時の事業局長に「おたくのグループは、テレビもある。ラジオもある。新聞もある。夕刊紙もある。週刊誌もある。この全部が、自分で主催するゲームを作ったら、テレビで中継して、ラジオで中継して、新聞で書いて、スポーツ紙も書ける。主催者が持ち物として使える、こんなコンテンツをやりませんか?」って言ったんですよ。そしたら向こうは「うちはボスがいる」と、鹿内信隆さんという人だったんですけど「ボスがOKしないと動かないからしばらく待ってくれ」って。それで半年ぐらいしたら「産経の本社に来てくれ」って言われて、なんですか?って聞いたら「ボスの前で説明をしてくれ」っていうわけですよ。」
邦丸「そのとき戸張さんは何歳ぐらい?」
戸張「25歳ぐらいです。」
邦丸「25歳の若者がフジサンケイのドン、鹿内信隆さんの前でプレゼンしなくちゃいけない。」
戸張「今考えてみると、よくそんなことやったなぁと自分でも思うんですけど、向こう見ずと言うかノー感じというか「分かりました」と言って、企画書などを持っていったら、でかい会長室みたいなところの奥の方に座っておられて、両脇に役員の人がみんな立ってる!立ってるんですよ!その真正面で「説明をしてご覧なさい」とってか言われてね。(笑)なんか背中を汗が流れるみたいな感じで。7~8分かけて説明して終わったら、シーンとしてるわけ、10人ぐらいいるのに。どうなるんだろうと黙って立ってたらね…。」
邦丸「…。」
戸張「これより長い間があったね。」
邦丸(笑)
戸張「そしたら鹿内さんが「面白いからやってご覧なさい」って言ってスタートするんですよ。」
ところが当時の戸張さんにトーナメント運営の知識はゼロ!そこで取った作戦とは?気になる人はradikoのタイムフリー機能でご確認下さい。
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
※タイムフリーは1週間限定コンテンツです。
※他エリアの放送を聴くにはプレミアム会員になる必要があります。