今週の【片山右京 DREAM REVIEW】 レポート!!

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今月のゲスト、「車いすラグビー」競技で3大会連続でパラリンピックに出場された
三阪洋行さんにお話を伺いました。

17歳の中の時期に事故でラグビーができなくなった三阪さん
車いすラグビーに出会って4年後に日本代表。そこから3回連続パラリンピック大会に出場していますが、最初はどんな感じだったのでしょうか?

車いすラグビーを始めた時は、最初の1時間で腕がパンパンになり走れなくなった。
体が不自由な中でも、こんなことができると言う楽しみや喜びがそこにはあったので、(障害あるなし関係なく)毎日生きがいを持って動ける目標を持ってやり続けるエネルギーがあったので、この4年と言う時間で日本代表なれるきっかけを作ってもらえたと思っている。

最初にパラリンピックに出場した時はどうでしたか?

テレビでシドニーオリンピックを見ていたけれども、未知のものだった。行ってみるまでどんなものかわからなかった。
その頃は国内で車椅子ラグビーの試合をやってもお客さんがたくさん入る状況ではなかったので、マイナースポーツをやってるイメージだったけれども、開会式で入場した際約7万人の観衆の中を歩いた時にすごいなぁと言う感動を覚えた。
4年前の入院している自分に、「絶対あきらめるな」って思った。
障害を負っても「自分に価値をつけられる場所があるんだな」と試合の結果よりもすべての出会いに感動していた記憶がありますと、語る三阪さん。

【ここで、車いすラグビーについて・・・】
パラリンピック競技で唯一車いす同士がぶつかるタックルが認められている競技。
車いす同士のぶつかり合いの激しさからかつては「マーダーボール(殺人 球技)」と呼ばれていた。
選手は障がいの程度によって0.5点〜3.5点までの持ち点が与えられ、コート上でプレーする4人の選手の合計が8.0点以内でチームを編成しなければならない。
コートはバスケットボールと同じサイズで、バレーボール球を参考に開発された専用球を使用。
「ローポインター」と呼ばれる障がいの重い選手が、相手の車いすをひっかけて進攻を止める“ボールのないところの攻防”も見どころの一つ。

三阪さんは、ちょうど中間位の持ち点の障害

車いすラグビー言うと下半身の怪我を思い浮かべると思いますが、実際には手に障害を持っている人もいます。三阪さんは2.5の障害度合いで、ちょうど胸から下が動かず、手首の先までは動かせるけど腕は握力がほぼない状態だそうで。
日常生活で誰かの介助がなければ生活できない人もスポーツをやっています。その一方で障害の軽い人はちょっと歩けたり握力もあったりするので、障害の幅が大きい中でもみんながプレイできるようにクラス分けをされルールが工夫されているのが、車いすラグビーの特徴の1つなんですね。

「ラグ車」と呼ばれる専用の車いすにも攻防型と守備型があって障害の度合いによって車椅子を乗り換、それぞれの役割がきちんとあるそうで。
話だけ聞くと、ぶつかり合う激しいスポーツに見えますが、中身は緻密な戦が出られている結構奥深いスポーツなんですよ。と、楽しそうにお話して下さいました。

続きは、また来週伺います。

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