生島淳と帽子トーク。「高校野球が好きすぎて」していたこととは?
「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」(文化放送)、8月1日の特集テーマは「帽子デビュー」。夏は特に出番の多い帽子について語り合った。
今回は重藤暁の代理として生島淳が出演した。スポーツジャーナリストとなる遥か以前から、帽子とは縁の深い日常を送っていたという。
西川あやの「(屋外の)スポーツの現場で帽子は必要不可欠というか」
生島淳「昼間観る野球は、ないと無理だよ。僕とかは日焼けして真っ赤になっちゃう。昔はよく買っていました。きょうも持ってきたんですけど、だいぶ娘にとられて(笑)。かぶっていかれちゃうから、所在不明なものもあるんです」
という生島、子供のころはオリジナルの帽子をつくることにも夢中だったと振り返る。
生島「小学生のとき、高校野球が好きすぎて。白ベースでつばが紺の帽子に、マークを買って縫い付けていたの。東北高校の『T』が格好いい、とか言って」
山内マリコ「熱意、すごい!」
西川「帽子って一種のアピールにもなりますね。どこどこのファンです、みたいな」
いまではほぼ見かけないが、『サザエさん』の磯野波平のように、かつては帽子をかぶって出勤していたサラリーマンも多かった、という話題も出た。
生島「1950年代とか60年代とか(のサラリーマンは)、使いこなせていたんだよ。帽子を外して挨拶するタイミングとかも、みんなあったんだろうね。(やり方が)体に入っていた」
山内「たぶん帽子かぶっていないと裸で歩いているみたいな、それぐらいの雰囲気だったと思います。ちゃんとしている人は帽子かぶっている」
生島「1990年に会社入ったけど、そのときは帽子かぶって出勤する人いなかったね」
そもそもどうして帽子が身近なファッションアイテムになったのか、その経緯にも言及した。
西川「子供から大人まで世界中で人気の『キャップ』を例に見ていきますと。選手のために太陽光から目を保護するためにつくられた機能的な帽子として、1900年ごろにアメリカ全土で流行したそうです。その後、日本でも野球人気の高まりとともに普及し、1970年代から80年代ごろ、多くの小学生かぶっていたということです」
生島「俺だ! 高校野球のオリジナル帽っぽいのをつくっていたのは、この時代ですから(笑)」
山内「うちの兄が80年代に小学生で、野球ファンじゃないのにライオンズのキャップかぶっていましたよ」
生島「ブルーの。手塚治虫先生の絵のね」
このあとは日本のプロ野球でも見かけるニューエラとのコラボ帽子や、生島が持参した帽子の数々、山内が気になっているという埼玉県春日部市の「田中帽子店」の話でも盛り上がった。
「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」は毎週月曜~金曜の午後3時30分~5時45分、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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