「卵かけご飯を夫婦で分けた」加山雄三が想像を絶する苦労の時代を振り返る…借金23億円の返済生活とは?
先日、今年限りでコンサート活動の引退を表明した加山雄三さんが7月15日の「くにまる食堂」にご来店。大きな決断についてはもちろん、デビュー当時や、莫大な借金の返済生活について伺った。
野村邦丸アナ「先日、様々なメディアでも大きく取り上げられました。加山雄三さんは年内いっぱいでコンサート活動から引退すると発表しましたが、大きな決断をされた要因はなんですか?」
加山雄三「入り口があったら出口があって、それで終わりがある事はなんとなく決まってて、その最後はやっぱりきちっと決めたほうがいいなと。もう歌えなくなって、ヨレヨレになって、ふにゃふにゃになるなんて、ちょっと考えつかないからね。嫌だからね、やっぱり。だから今まだちゃんと歌える時にぴしっと「ハイここまで!」って決めるのがいいと思うんだね。その方がなんか、スッキリするじゃない。」
邦丸「加山さんは、いま85歳でいらっしゃいますよね。」
加山「もう85歳だもんね。テレビなんか見てたら80歳でどうするこうするって大騒ぎしてるじゃない。俺85だよ。うちの親父が死んだのは82だよ。親父より3歳も生き延びているわけだよ。」
邦丸「お父様は俳優の上原謙さん。加山さんが芸能の世界に入ったのは上原謙さんの影響もあったんですか?」
加山「まあそういうことだろうね。最初、親父に相談したら、ものすごい勢いで反対されたの。しばらくどうしようかなと思ったけど、やっぱりやりたい。やりたいって言うよりも道が開けて見えたんだよね。だから「俺やるよ」って言ったら親父は「自分で蒔いた種は自分で刈り取る。その精神でやるんだったら、やってもいい」って。親父が自分で蒔いた種なんかろくなものないのに、親だから偉そうなことを言うんだよね。」(笑)
邦丸「それで「若大将」として銀幕デビューして「君といつまでも」が大ヒット。大人気になっていく「若大将」とご自身は、実はずいぶん違っていたそうですね。」
加山「祭り上げられてたけど、いつぶっ倒れるかわからないって、そんなことばっかり考えてたね。俺も倒産とか問題は色々あったじゃん。それでも覚悟してたからさ、土下座して回って歩いて、頭下げてさ。やっぱりそういう事やったもんね。でもそういうことが全部に身になり血になり肉になっていたなと思うね。だからね、悪いことを起こしたのは全部自分の所為なんだよ。それでいい事があったときはどんな人にも「ありがとうございます」って感謝する。この2つしかない。こう自分の心に言い聞かせるんだな。なんとか生き抜いていくためには、皆さんの力を借りて、力を合わせて、それで何でも切り抜けて行こうとする気持ちがあれば、乗り越えられるんだと思ったね。」
邦丸「元々 加山さんご家族は以前、神奈川県の茅ヶ崎で「パシフィックホテル茅ヶ崎」を経営されていました。それを全部失った当時、週刊誌では再起不能とまで言われてましたね。」
加山「パシフィックの負債は23億円って言われたね。最終的には17億円で、10年で完全に返済しました。国税局に行って頭を下げてさ、なんとか今年はこれだけで認めていただきたいんですけど…とか言ってね。こう言わないと食べられない。食べないとだめだからさ。食い扶持がないわけだよ。必死だよこっちは。それで10年かかって完済。どうやって返したのかって言うと働いたの。それこそ食い扶持だけ残して、あとは全部返す。働いちゃ返す。だからあるときは、本当にもう1日に卵が1個しかなくて、ご飯にかけてかき混ぜてさ、それを夫婦で分けた。まあそんな話はどうでもいいんだよ。でも苦労したから、人間最終的にはいいところに行くと、俺は思うよ。」
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
※タイムフリーは1週間限定コンテンツです。
※他エリアの放送を聴くにはプレミアム会員になる必要があります。