「もうやりたくないなと…」たかみなが今振り返るAKBデビューストーリー…アンコールは自作自演?
日本を代表するアイドルグループAKB48の一期生としてデビューした高橋みなみさんが6月13日の「くにまる食堂」にご来店。AKB誕生前や総選挙が社会現象になった舞台裏を振り返りました。
野村邦丸アナ「AKB48が結成されたのは2005年なんですけど、八王子に住んでいた少女の高橋みなみさんはずっと前からアイドルや芸能界への憧れはあったんでしょ?」
高橋みなみ「私自身は実は、芸能界の憧れが芽生えたのは割と後の方でして、元々は母親が芸能界に子供を入れたいっていう思いがあったんです。それで物心つくまでに色々オーディションも受けさせられるような形だったんですが、小学3~4年生の時に「あっ、歌うの楽しいな」と思って自分の意思でもやってみたくなり、そこからAKBのオーディションに出会ったんです。」
邦丸「AKBの前に、モー娘。には行こうと思わなかった?」
高橋「すごいモー娘。世代だったのでやってみたかったんですけど、オーディションはタイミングが合わなかったんですね。それでAKBの前はホリプロスカウトキャラバンのオーディションを受けて最終的に落ちてしまったんですが、そのオーディションに行く途中で「秋元康プロデュースのAKB48っていうのあるんですけど、オーディション受けませんか?」みたいなチラシをいただいて、それで行きました」
邦丸「AKBのオーディションってどんな感じだったの?」
高橋「面談みたいな秋元先生とちょっとお話しをする質疑応答もありましたし、1分間の振り付けを教えてもらって2時間後に披露するっていうのもありました。全然素人なので踊れないんですけど、振り付けの先生は「踊れないのは当たり前。でも拳を振り上げてイエーイ!とか、楽しいところをどれだけ楽しく表現できるかを一生懸命やりなさい」って言われて。踊りのクオリティよりも笑顔とかを見てたみたいですね。」
邦丸「それで晴れて一期生になったAKB48は劇場を持ってたんですよね。最初のころはどんな日々でした?」
高橋「250人のお客さんが入る劇場があって、そこで毎日ライブをするっていう面白いコンセプトだったんですよね。最初は楽しさよりも目まぐるしくって、当時は14歳でまだ八王子に住んでいたので、ライブの時間までに秋葉原に行って着替えて踊る毎日の繰り返しで「疲れるなー」って感じでした。お客さんはまだ7人ぐらいだったので、アンコールの曲も用意してるんですけど、お客さんがアンコールしてくれなくてマネージャーさんが舞台袖で「アンコール!アンコール!」って、自作自演ですよね。」
邦丸(笑)「最初に書いたサインは覚えてる?」
高橋「なんか3人ぐらいのメンバーで色紙を書いて配りまくってましたね。家に帰って200枚ぐらい書くノルマみたいなのがあって、劇場に足を運んでもらうために配るみたいなことをしてました。だからサインの思い出っていうよりは「書かないと!」って感じでした。」
邦丸「それで転機というか端境期があったわけでしょ?」
高橋「最初は秋元康プロデュースっていうことで取材が殺到して、当時はAKBじゃなくて秋葉原48って呼ばれたんですよ。そこからAKBが浸透していくまでは、結構時間がかかりましたね。オリコンなどのチャートが良い順位になってくことで、世の中が「AKBってちょっと売れてきてるんじゃない?」って見る目が変わっていったように思います。」
邦丸「だんだん有名になっていくわけだよね。」
高橋「それまで渋谷とか歩いても声をかけられなかったのに、「あっAKBの子だ」って言われるようになった時はちょっと嬉しかったですね。でグループが徐々に売れていくと「あったかみなだ」って名前を言われるようになって、面白い現象だと思いました。」
邦丸「あとすごいのは総選挙だよな。硬い新聞、朝・毎・読・日経まで出ちゃうんだもの。」
高橋「あれは特殊なイベントですよね。卒業した今思うと、もうやりたくないなと思っちゃいますけど。女の子がファンの投票によって順位もつけてもらうのは過酷でしたけどテレビも生中継してもらって、あれがあったからAKBがまたちょっと売れるきっかけになったのかなと思います。」
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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