堀内孝雄「アリス結成50周年!ベーヤンが今明かす、知られざる壮絶体験!」
6月9日(木)の「くにまる食堂」(文化放送)に、歌手の堀内孝雄さんが登場! 最初のコーナー「今日のA定食」では、アリスのファンだったという野村邦丸アナの、リスペクトといじりを交えた軽快な会話が展開。ベーヤンからはグループ結成秘話や、病に倒れた体験談など、貴重なお話を聞くことが出来た。
野村邦丸アナ「アリスは結成50周年。この前NHKの『SONGS』を観ていて……」
堀内孝雄「まあ~あのカラ元気! どうしたのあいつら。無理してるわ~。やっぱりフレームの中では生き生きとしてるんですけど、普段会いたくないですね」
邦丸「実際アレですよね、アリスの長い50年の中で、3人が揃ってコンサートをすることもあればそれぞれのソロ活動もあるから」
堀内「バラバラで各々でバンド作ってたり、矢沢(透)なんて『HUKUROH(ふくろう)』というバンドを……滝ともはる君(と元シグナルの住出勝則さん)かな? 横浜にあるライブハウスで一緒にやってたりします。チンペイ(谷村新司)さんはチンペイさんで自分のバンドを組んでますから。で、僕は僕で長いこと同じミュージシャンと一緒に歌ってます」
邦丸「で、アリスが書いた本がありまして、『帰らざる日々―誰も知らないアリス』というタイトルの本を42年前、俺水戸で社会人生活を始めた時に買って。その時はもうデビュー10年ですか、アリスはヒット曲が多くてスーパーグループになっていたんだけど、一番最初のアリスのヒット曲って『今はもうだれも』ですか?」
堀内「そう、『今はもうだれも』! それが要するにやっとこさ、昔のオリジナルコンフィデンス(オリコン)の、左のページ(50位以内)に何とか載ったんですよ。『い~や行けんじゃない?コレ』とか言って。ディレクターも『だから俺こういうの探してたんだから。次もそういうの意識して作って!』って。だからこの当時の曲は全部エイト・ビートなんですよ」
邦丸「本を読んで、オーバーじゃなくて本当によく生きていたなって……特にチンペイさんとベーヤンが病に倒れて、確かチンペイさんは生死の境をさまよったことも……」
堀内「飛行機の中でチンペイさんが白目むいて倒れた時はもう、その時とばかりにほっぺたをイヤっていう程叩いた(笑)。普段の想いも含めて、しっかりしろーっ! しっかりしろーっ! て。脂汗だらだら流して。それから3ヵ月ぐらいかな?流石にチンペイさんが休みくれって言って。で、僕とキンちゃんで50本近くコンサートをやりましたね」
邦丸「2人のアリスをやったわけですね?」
堀内「で、ホールの表に貼り紙して、『正規のアリスじゃないんで、気に入らない方はお金をお返しします』って。それがね、50ヵ所近くやって返金を望んだのは3人だけ。その3人に会いたいわ!(笑)」
邦丸「ベーヤンご自身も、病に倒れたことが……」
堀内「ああもう苦しかったですねえ…大阪から僕、奈良に引っ越したんで、それが功を奏して。まあ静かな場所で、静養じゃないけど、たまたまそれが良かったのかな~って思いますけど。何とか薄皮を剥がすように元気になれて、現在に至っていますね」
邦丸「あの、長い間バンドをやっているミュージシャンは多いと思うんですけど、ここまでね、体ボロボロになるまで働いたのはアリスぐらいではないかなと」
堀内「今日も持ってますけど、これパンなんですよ(パンを見せて)。パンとかおにぎりとか持ち歩いたりするんですけど、『倒れても食ってれば死なない』というね、単純なバカのフレーズで、それからもうね、未だにあの怖さが抜けなくて。電車に乗ると必ず、ドアの近くに立つようにして、苦しくなったらすぐ降りられるように。しかも各駅停車に乗って。降りてからもうずくまってベンチでじーっと……もう何度もそんな日々が続きましたから。だから苦しい人の気持ち、よくわかるんですよ。『いやそんなあ、元気そうじゃん!』っていわれるんですけど、とんでもないんですよ!『うわ!次の駅まで長いな』って思った瞬間、プレッシャーなんですよ。そういうのも越えてきたから、まあ今は何のことは無いですよね。何とか頑張れたから嬉しいです」
と、今だから話せる壮絶な体験談を話してくれたベーヤン。この後、邦丸アナが大好きだというアリスのヒット曲「秋止符」をかけて、しっとりとしたムードに浸った。
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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