東日本大震災から11年―避難生活を余儀なくされた被災者達は今 ~3月11日(金)斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!

東日本大震災から11年―避難生活を余儀なくされた被災者達は今 ~3月11日(金)斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!

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東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故から11日で11年を迎えた。事故により避難生活を余儀なくされた被災者達はこの11年間、どのような暮らしを送ってきたのか。斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI」のメイン・コーナー「ニュースサキドリ」では、震災発生当時、南相馬市立大甕小学校で教頭を務め、現在は双葉町「東日本大震災・原子力災害伝承館」に務めている泉田淳さんに電話を繋いだ。

震災当時、双葉町にあった自宅はどの様な被害を受けたのか?

まず屋根瓦がザーッと落ち、その後津波が襲ってきて1階の天井近くまで水が来た、そして更に原子力発電所の事故が発生し、家を片付ける事も無く避難しなければならなかった。

 

どこへ避難したのか?

南相馬市へ行き、その後は郡山市、埼玉県加須市、猪苗代町、二本松市、いわき市へ行った。10回位引っ越す事になり大変だったが、家族全員無事だったので、苦にはならなかった。

 

現在はどこに住んでいるのか?

家族は郡山市に住んでいる。私自身は単身赴任で浪江町に住み、現在の職場に通っている。

 

現在の仕事に就くことになった経緯は?

震災後、双葉町の小学校の校長となったが、定年退職の年、ちょうど双葉町で「東日本大震災・原子力災害伝承館」がオープンする事になり、声を掛けて頂き、アテンドの仕事をすることになった。仕事を通して、命を守ることの大切さ、また双葉町の人間として被災した辛さや悲しさ、悔しさ、惨めさ、そして支援して頂いた皆さんへの感謝を伝えたいと思っている。また、教育者として、震災と原子力災害でひどい目に遭ったにも拘らず明るく、元気に、逞しく、そして優しく、賢く育ち、今も頑張っている子ども達の姿を、たくさんの方に知って頂きたいと思っている。

 

双葉町では、生活再建の準備に向け「準備宿泊」が始まったが、将来双葉町への戻る事は考えているか?

ちょっと難しい。現在双葉町で仕事をしているので、放射線や原子力発電所の廃炉に関わる事故、地震、津波に対する恐怖心は以前に比べてかなり薄れ、なんとか暮らしていけるような気もする。ただ今後年を取った時の事を考えると、歩いて買い物に行ける場所や医者等、街としてのインフラがもう少し整わないと生活していく事は難しいと思っている。

 

旬のニュースをジャーリスティックな視点で掘り下げる文化放送「斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI」は月~金 午後3時半~5時50分に放送中。

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