「教え子の顔が次々に浮かんで…」直木賞の連絡に思わず号泣!今村翔吾さんが明かした涙のワケ

「教え子の顔が次々に浮かんで…」直木賞の連絡に思わず号泣!今村翔吾さんが明かした涙のワケ

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ダンスの先生から直木賞作家へ、華麗な転身を遂げた歴史小説家の今村翔吾さんが2月4日の「くにまるジャパン極」(文化放送)に登場。作家を目指したいきさつや、受賞の連絡に涙した裏話を根掘り葉掘り伺いました。

野村邦丸アナ「今村さんはダンス講師から転身されたそうですね。」

今村「もともと家業でダンス教室をやってたんです。僕自身はぶっちゃけ、ダンスが好きでもなかったし、むしろお遊戯とか恥ずかしいと思うタイプだったんですけど、家の跡を継がなあかんのでやってたという感じでした。」

邦丸「そんな今村さんがなんで小説家を目指したんですか?」

今村「ダンススクールの中にはちょっとやんちゃな子もいて、ある女の子が家出したんです。お母さんが電話しても出えへんから僕が掛けたら近くにおって、迎えに行って、お母さんとこ送り届けて。ということが3~4回も続いたんですよ。それで「将来やりたい事とかないんか?」って聞いたら「あるけど別にいい」みたいなことを言うんですね。実は、彼女の夢は専門学校に行ったり、すごくお金がかかることなんだけど、家はそんなに裕福じゃなく「そこまでやりたい事じゃない」とか言うんです。そこで僕は熱血教師ぶって「夢を諦めたらあかんやろ。今からなら何でもなれる」みたいなことを言うたんですよ。ほんなら、僕が小説家になりたいとよう言うてたから、「翔吾くんも夢を諦めてるくせに」って言い返されたんですよ。それが30歳の時で、いや~言い返す言葉がなくて、悔しいとかじゃなくて「ほんまにその通りだ」と思って。それで僕の中でなにかスイッチが入ったんでしょうね。すぐ父親に仕事辞めると言って、子供たちには送る会みたいなところで「30になってからでも夢は叶う事を俺が残りの人生で証明する。それをみんなに教えたい」って言ったんです。」

邦丸「かっこいい~!」

今村「今の話だけ聞くとかっこいい感じですけど、僕、そん時に小説1回も書いたことなかったんです。やばいヤツですよ。だから絶対こんなやり方他の人にはオススメしません。」

邦丸「その後どうしたんですか?」

今村「もうほんま人生で一番ぐらい、めちゃくちゃ頑張りました。埋蔵文化財センターで働きながら、仕事行く前に2~3時間小説を書いて、仕事が終わってご飯と風呂を済ませたら深夜1~2時までずっと書いて、というのを1~2年ぐらいやりました。もうそれ以外の記憶はないです。世間の事はテレビとかもよう見てなかったんで、何があったかあまり覚えてないですね。」

邦丸「それで直木賞取った時に号泣してたよね。」

今村「あの時は、さっきの女の子も含めて宣言した時の子どもたちの顔がめっちゃよぎったんですよ。走馬灯じゃないけど2~3秒の間に色んな教え子の顔がぶわ~って見えて、泣くつもりはなかったんですが泣いちゃってたんですよね。」

「くにまるジャパン極」は平日朝9~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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