高倉麻子さん「なでしこジャパン元監督の原点は野球」!? ~12月2日「くにまるジャパン極」
12月2日放送の「くにまるジャパン極」(文化放送)に今年の8月までサッカー女子日本代表“なでしこジャパン”の監督を務められていた高倉麻子さんが出演! サッカーを始められたきっかけや苦労、今年の夏行われた東京五輪でなでしこジャパンを率いた際の心境など、様々なお話を披露してくれた。
野村邦丸アナ「高倉麻子さんとこの前文化放送で初めてお目にかかって、ぜひうちの番組にもって言った時に『野球の話をしませんか?』と。ちょっと待って!サッカーの話しようよって(笑)。野球が好きなんですか?」
高倉「もともと私の時代は、サッカーがそれほど日本で盛んだったわけではないので、子供の時から私は活発な子で、男の子とばっかり遊んでて。その時代男の子って野球チームを作ってやるじゃないですか。それ先頭切ってやってて、私、『野球狂の詩』って漫画読んで女子で初めてのプロ野球選手になるんだ!って言って、一所懸命野球をやってたんです。ところが小学校4年生から入れるサッカー部があって、そこに一緒に野球をやっていた友達がみんな行っちゃったので、放課後一人ぼっちになっちゃったんです」
少年野球ではピッチャーをやっていたという高倉さんだが、まわりの友達みんなが入ったことからやむなくサッカー部に入ったという。
邦丸「実際にサッカーをやってみてどうでした?」
高倉「いやもう楽しくて。ボールを足で扱う感覚とか、やっぱり人をドリブルで抜いていくとか、全員でパスが繋がってシュートを決めるとか、そういった感じが自分に合ってたんでしょうね。あっという間にサッカーに夢中になって。それでも一番最初に戻ると、それは男子のサッカー部だったんです。私が入部届を持って行った時に担当の先生が、もし『女の子のチームじゃないから、女の子はダメ』って言ってたら、私そんなにサッカーをやりたかったわけじゃないので、あっさり諦めていたと思うんです」
担当の先生が何の偏見も無く入部を認めてくれたことが、高倉さんのこれまでのサッカー人生に大きな意味をもたらしたという高倉さん。
先生の対応にはとても感謝されているようだ。
そして、話は一気に飛んで36歳で現役を引退された頃のお話。
邦丸「高倉さん自身、指導者になることはあんまり考えてなかったとか?」
高倉「あんまりというか、まったくですね。私自身は絶対やらない、ぜっっったいやらない!って言ってたんです。何故嫌だったかというと自分が選手の時、指導者の言うことって、大体疑ってかかるっていう選手だったんです。そんな(自分のような)言うこと聞かない選手面倒見てらんないよって思ってたんですが、引退後、2年程少年サッカーとか小さいクラブみたいな所でお手伝いをしてる中で協会の方にお電話いただいて、『アンダー15世代の女の子の環境があまり良くないので、その辺の普及の手伝いを時間のある時にしてくれないか?』みたいな」
そして時間に余裕があった高倉さんは、ちょっとお手伝い程度という感覚で指導者の道に飛び込んだら、すっかりのめり込んでしまったそう。
その後、指導者としても数々の経験と実績を積み、2016年にはサッカー女子日本代表なでしこジャパンの監督に就任、今年夏の東京五輪でも指揮を揮った。
その時のことを振り返って思うことは?
高倉「2011年のワールドカップ優勝で本当に女子サッカーの世界って、天と地がひっくり返ったような変化を見せて、私も決勝の舞台であるドイツの現場にいたんですよ。その時にアメリカの代表選手の友人に『優勝おめでとう、でもこれからが大変だよ』って言われたんです。『アメリカは優勝しか許されない中でそのプレッシャーと30年間戦っている』って。その時は『あ、そういうもんなんだ』って思ったんですが、自分が監督やらせていただいて、この間の東京五輪でもやっぱり世の中の皆さんの期待っていうのが、いつも優勝にあるというところはすごく思いましたし、プレッシャーは物すごかったです」
そして「メダルに届かなかったことは残念だが、選手がもっと楽しいと思ってグラウンドに出してあげられなかったことが一番辛い」と、振り絞るかのように後悔の念を吐露した高倉さん。指導者としての愛が感じられる一幕だった。
「くにまるジャパン極」は平日朝9~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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