武田鉄矢 あの名曲誕生のきっかけは映画「幸福の黄色いハンカチ」!? ~10月20日「くにまるジャパン極」
文化放送では「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」でお馴染みの武田鉄矢さんが10月20日に「くにまるジャパン極(文化放送)」で、名曲「思えば遠くへ来たもんだ」にまつわる逸話を語った。
1978年に発表された武田鉄矢(海援隊)の名曲「思えば遠くへ来たもんだ」は、山田洋二監督の『幸福の黄色いハンカチ』に出演した時期に作ったそうで…
武田鉄矢さん「当時、子供が産まれたんだけど会えてなくて。映画の撮影から帰って初めて子を抱いて、五反田のアパートの夕空を見てるうちにやたら泣けてきちゃって。その時に“思えば遠くへ来たもんだ”という言葉をつぶやいた。まだふるさとを離れて4~5年ですよ」
野村邦丸アナ「海援隊の曲『故郷未だ忘れ難く』。あの歌も大好きなんですけど、これは故郷の博多を離れて、距離的なことだけでなく“俺はここまで来て、我が子を抱いている”っていう…」
武田鉄矢さん「そうそう!故郷を離れて4年で父親になっていましたから、“運命はどこまで行くんだろう?この先、俺に何が待っているんだろう?”っていう思いがあったんで」
「思えば遠くへ来たもんだ」は、当時の日本国有鉄道のキャンペーンソングの候補にもなったそうですが…
武田鉄矢さん「俺は『思えば遠くへ来たもんだ』を書いて、“絶対にいける!”と思った。そしたらチンペイちゃん(谷村新司さん)がもっと良いの作った。それが山口百恵さんの『いい日旅立ち』なのよ。少し似てるところあるでしょ?同時期に作ったから。向こうは百恵ちゃんが歌ってたし、勝てるわけがないよな~」
そんな「思えば遠くへ来たもんだ」誕生のきっかけにもなった映画「幸福の黄色いハンカチ」で共演した高倉健さんとも不思議な関係があるようで…
武田鉄矢さん「二十歳のときに海援隊を作って、フォークだけど笑いをとりたいから最初は替え歌をやっていたの。初めて作った替え歌が『大学ボタン』っていう、当時流行っていた映画『唐獅子牡丹』の主題歌の替え歌だった。この『唐獅子牡丹』の主人公は高倉健だったわけよ。今振り返ると、『大学ボタン』を歌った7年後に『幸福の黄色いハンカチ』の撮影で高倉健さん本人と会うのよ」
「くにまるジャパン極」は平日朝9~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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