パラ競泳の富田宇宙「7年後のロサンゼルス大会はサーフィンで」 ~10月12日 ニュースワイドSAKIDORI!
東京パラリンピックの競泳(視覚障害のクラス)で、3つのメダル(400m自由形、100mバタフライで銀メダル。200m個人メドレーで銅メダル)を獲得した富田宇宙選手が、前回5日に続いて、12日、文化放送「斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!」内『応援!ユニバーサルスポーツ』に、スタジオ出演。
7年後のロサンゼルス・パラリンピックで、サーフィンが正式競技に採用されれば、出場したい考えを示した。
5日の放送後、「斉藤さんはラジオモンスターですね」と言いながら、スタジオを出た富田選手は、自分の言葉で語れるラジオ出演に充実している様子だった。続く12日の放送で、冒頭、斉藤キャスターが『東京パラリンピックが終わって、どんな風に過ごしているのか』と尋ねると、富田は「今日はサーフィンをしてきた」と返し、スタッフ一同、驚いた。おったまげたという反応が正しいかもしれない。さらに富田は「初めて(サーフィンをした)。一応、波に乗れた」と満足気だった。確かに水の中の動きは言うまでもないのだが、サーフィンはプールではなく海だ。しかも富田は全盲である。それでも、「(サーフィンは)スピード出ますね。全然、(やる前の)イメージと違った。すごい気持ちよかった。疾走感があって」と平然と答えていた。富田の頭の中と行動力は果てしなく、まさしく宇宙そのものだ。
富田によると、2028年のロサンゼルス・パラリンピックで、サーフィンが正式競技になる可能性があり、種目としてブラインドのクラスがあるとのこと。斉藤が『もしかしたら、2028年(のロサンゼルス大会)、それ(ブラインドのサーフィン)で出ようとしています?』と訊くと、富田はもはやプランが出来上がっているかのように「ありますね~。ありますね~」と、繰り返した。斉藤が再度確認すると、「ありますね。プールで泳ぐ競技もシビアで面白いが、海で自然と触れ合いながらの競技も面白いし、挑戦してみたい」と笑顔が弾けていた。
富田は熊本の出身である。新型コロナの拡大で、去年、東京での練習場所の確保に苦労していた富田をサポートしたのが地元の方々だ。富田が小学生の時に水泳を習っていたYMCAや濟々黌高校時代の恩師・米田拡二さんが勤務する熊本西高校がプールを開放してくれたという。「特に今回のパラリンピックに向けて、そういった(皆さんの)協力なしでは、パフォーマンスを維持することが出来なかった。改めて、感謝しています」と話していた。
続いて、この日、富田のサーフィン挑戦に驚きと感動を覚えた松井佐祐里キャスターが、『来月から、競技力向上のため、スペインに行くと伺った。どうしてスペインを選んだのか?』と切り出した。富田は「スペインは視覚障害者が社会的にとても活躍しやすい国と言われ、リオデジャネイロ・パラリンピックで僕と同じ(全盲の)クラスのバタフライで金メダルを獲った選手もスペイン出身だし、ブラインドのサーフィンの世界チャンピオンもスペイン出身。パラリンピックの中における、視覚障害者の割合も高い。そういった世の中、社会の中で自分の競技(力)を高めていきたい(から)」とアップテンポで語った。すでに、気持ちはスペインに向いているのであろう。
さらに松井が『スペインで具体的にどんなことを学びたいか?』とぶつけると、富田は「視覚障害者の社会システム、そしてコーチングのカルチャー」を挙げ、「ただ厳しく𠮟りつける水泳の練習はなく、どうやって選手のモチベーションを引き出すかというカルチャーもあり、身にもって学びたい」と前向きだった。斉藤が『競技以外で学びたいことは?』と振ると、富田は「視覚障害者の話で言うと、スペインは宝くじの権利を視覚障害者の当事者団体が国から譲り受けていて、それを運営することで資金を得て、さらに雇用を生み出し、社会に参画しているという文化がある。また、信号機の数はスペインと日本は変わらないはずなのに、スペインの視覚障害者の死亡事故はゼロというところから、何か日本とスペインで違うものがあるはず。数字上だけだとなかなか見えてこないので自分が暮らして感じてみたいという気持ちもある」と思いを込めた。
他方、富田はアスリートに加え、社会活動家を名乗っており、それについて斉藤が訊くと「自分が障害を負ってから障害者として生活してきたが、その中で世の中に対する違和感や社会の在り方に疑問を抱くことがたくさんあった。それを僕の場合、スポーツやパラリンピックを通して、皆さんに言葉で変革していくことを推進してきたが、さらにその学びを深め、もっとより良い社会の在り方を追求していきたい」と訴えた。
終盤、斉藤が東京パラリンピックで富田が400m自由形で銀メダルを手にした後のコメントを紹介した。『障害を負って、思い描いていた人生とは全く違う道を歩むことになった。皆さんに多様性の価値や障害者の理解につながる1つのパフォーマンスとして、メダルを獲ることを見せることができた。障害を負った意味が、この瞬間にあったのかなと実感した』というものだが、これを受け、富田は「僕は元々、宇宙に行くという夢を持ち、そういう人生を送るつもりでいた。障害を負ったことでそれが叶わなくなり、いろいろなチャレンジをしたが、うまくいかないこともたくさんあって、パラアスリートという“仕事”にたどりついた。その中で、自分にできること、自分が社会に役立つための方法をずっと考えて行動してきた。大きな東京パラリンピックという世界的なイベントでそれを1つ達成することができた。僕にとって人生にとって、大きな役割だし、使命だし、そう述べさせてもらった」と振り返った。
今後、富田宇宙は何を目指すのか。
「とにかく、自分がチャレンジして、壁を破り続けて伝えていきたい。いつまでもプレーヤーでいたいし、チャレンジャーでいたい。元〇〇にはなりたくない。研究や選手を続けて行くが、ゆくゆくは宇宙に行きたい。チャレンジをしながらメッセージを発信したい」と夢を語った。
ちなみに、富田がサーフィンを楽しんだのは鵠沼で、コーチをしてくれたのは、シドニーパラリンピックの自転車競技(視覚障害のクラス)の金メダリストの葭原滋男さん(59)の弟さんだとか。葭原滋男さん自身、現在、ブラインドサッカーやブラインドのサーフィンに取り組んでいるという。富田はいろいろな場所で刺激を受け、人生の栄養分を吸収している。サーフィンを楽しんだ後は、全盲になってから自分にたくさんのことを教えてくれた「師匠」のお墓参りをしてきたとのこと。富田と話していると話題が尽きない。また、この日、富田の母が上京し、文化放送の近くにいることが判明!富田の出演後、一緒に帰るということだった。せっかくなので、スタジオでお母様と記念撮影。番組としても思い出に残る日になった。まずは、富田のスペインでの充実した日々を願ってやまない。
『斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI』は平日午後3時30分~5時50分、文化放送(AM1134KHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。
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