
「東日本大震災」発災当時、気象庁では…気象研究所・中本能久所長に聞く
毎週日曜朝5時5分からお送りしている「防災アワー」
防災をもっと身近にもっとわかりやすく生活目線でお送りしている番組です。
今月は気象研究所 中本能久(なかもと・よしひさ)所長へのインタビューをお送りしています。
3月9日の放送では「東日本大震災」についてお話しいただきます。
3月11日で東日本大震災から14年になります。
死者不明者は災害関連死を含めて2万2000人を超えるなど、甚大な被害をもたらしました。
当時気象庁も、観測所の通信網の途絶、また津波によって潮位計や津波観測施設などもなくなってしまい、その後の監視には非常に苦労したそうです。
建物や護岸自体がなくなった観測所もある中、早く復旧させて次の津波に備えないといけません。例えば大船渡の津波観測所では津波計は壊れていたけれど、建物は残っていたので、急いでそこに津波計をつけたりしていたそうです。
(ちなみに、気象庁によりますと今回大船渡の大規模な山林火災で停電がおきて「大船渡検潮所」の観測が3月6日一時停止しましたが、臨時の津波観測装置を設置し6時間後津波の監視ができるようになったということです)
また「被災地の気象台に被災された方が集まってくる」という想定していないこともあったそうです。
中本所長は「気象台だけがその付近では発電機があって明るかったので、人が集まってくるのは当然のこと。そういうことも考えた上で災害時の対策を考えなければ」と話していました。
発災2か月足らずで中本所長は仙台管区気象台に異動されます。
「驚いたのは通常の生活をしている所のすぐ近くに被災地がある、ということ。被災地の沿岸部の道路は泥に汚れ、被災した建物が多く、漁船も打ち上げられていた。しかし中心部では普通の生活をしていてギャップがあった」と…。
また、職員の方の親族も被災されており「心と業務のバランスをどう取っていくか」を考えたそうです。
当時原発事故の問題で、警戒区域などへの「一時立ち入り」に関しても気象の情報が非常に重要で、立ち入りをする部署や立ち入りされている住民の方に気温などの実況をお伝えしていたそうです。
一時立ち入りの場所にもアメダスがあり、中本所長もメンテナンスに入られた際に「防護服」を着たそうですが、ものすごく暑かったとか…。
大地震に対する日頃の備えとして「耐震を考え、家具の固定をする。非常持出し袋の用意や水などの備蓄も大切」ということです。
3月9日(日)午前5時5分からという早い時間ですが、radikoでもぜひお聴きください。
3月7日(金)~3月11日(火)まで、汐留シオサイトで「東日本大震災風化防止イベント」が開催されています。
青森・岩手・宮城・福島の各県と東京都が連携し、東北4県の復興状況、パネル展示のほか、特産品や地酒、工芸品などが販売されています。
来場者は、大船渡の山林火災にも心を寄せながら大船渡市の銘菓「カモメの玉子」を買ったり、福島の「ままどおる」、インバウンドの旅行客も「こけし」などを買い求めていました。
気象予報士 防災士 都庁・気象庁担当記者 伊藤佳子