
失われた町”双葉町”の、再生に向けて踏み出した人々の思いを取材 東日本大震災14年/文化放送 報道特別番組 「帰りたかった町・帰れない町・帰ってきた町」3/11(火)午後8時から放送
文化放送は、3月11日(火)午後8時00分から、『東日本大震災14年/文化放送 報道特別番組「帰りたかった町・帰れない町・帰ってきた町」』を放送します。
東京電力福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の事故による放射能汚染により全町民避難が続いていた双葉町の帰還困難区域の一部で避難指示が解除されたのが2022年6月。
実に事故から11年5カ月ぶりに定住が可能となり、町は5年後の居住人口をおよそ2000人とする目標を掲げました。しかしながらそれから2年半、2024年12月現在、双葉町の居住可能な「復興拠点」地域に居住する町民は173人(86世帯)にとどまりました。この現実は、ひとたび生活を営む為の総ての機能を失った町が再生することの困難さを物語っています。
一方、双葉町に住むことを決めた173人の「新たな双葉町民」の中には震災当時に双葉町民であった帰還者もいれば、双葉町はもとより福島県に所縁のない移住者もいます。
全町避難という形で「ふるさと」を失った町民にとって双葉町は“帰れない町”となり、14年の月日を経た今、“帰ってきた町”となった人もいれば、“帰りたかった町”のまま望郷の存在となっている人も多くいるのです。
今回の特別番組では、東日本大震災から14年目の3月11日を迎えるにあたり、原発事故という理不尽な災害によって「失われた町」になってしまった双葉町の、その再生に向けて文字通り最初の一歩を踏み出した方々の思いを聞きます。
RFCラジオ福島の制作協力のもと、震災発生から14年、継続して福島の復旧苦難を見つめてきた山地美紗子アナウンサーが双葉町の「今」を取材します。
双葉町に帰ってきた元東京電力社員、まだ幼い人の娘と共に帰還した女性、母親が営んでいたファーストフード店を復活するために戻ってきた女性、そして、町の復興に力を尽くすために他県から単身で移住してきた脱サラ男性らに、地元ラジオ局のアナウンサーだからこその目線でインタビューマイクを向けました。
また、再生に向けて、町ではさまざまなコミュニティ作りに取り組み始めています。
定期的に居住者が集って合唱する「うたの会」はその一つです。また、双葉町の伝統行事「ダルマ市」も一昨年から復活しています。
小さな一歩ではありますが、そこには双葉町に対する参加者たちの暖かな想いが溢れています。
旧双葉庁舎内「うたの会」の様子
「ダルマ市」の様子(撮影:双葉駅東口 駅前広場にて)
*茶色い建物が旧駅舎、時計は津波到達時間で止まっている
一方、少し歩くと双葉町に広がる果てしない「荒野」。かつては田や畑だった地は文字通り「荒野」となって雑草が茂り、ススキが風になびきます。
震災、そして原発事故から14年、町の未来は決して洋々たる状況ではありません。そのような中でも、町の再生に立ち向かう人々の声は、即ち双葉町のリアルな「今」です。文化放送では、福島第一原子力発電所事故の記憶を風化させないための一石になると考え、この番組をお送りします。