【お天気気象転結】能登半島地震から1年 阪神淡路大震災から30年

【お天気気象転結】能登半島地震から1年 阪神淡路大震災から30年

Share

文化放送メールマガジン(毎週金曜日配信)にて連載中の「佳子・純子のお天気気象転結」。気象予報士の伊藤佳子記者・鈴木純子アナウンサーが、毎日にちょっと役立つお天気情報をお届けしています! この記事では全文をご紹介。

メルマガ登録はこちら

▼1月17日配信号 担当
伊藤佳子

来週1月20日は24節気の「大寒」。1年で最も寒さが厳しい時期に入りますが、1月の震災は寒さとの戦いにもなります。
きょう1月17日で、阪神淡路大震災から30年。
30年前の午前5時46分、東京でも揺れて目が覚めたことを覚えています。
当時、午前11時からの「梶原茂の本気でドンドン」という情報番組を担当していたんですが、神戸はもちろん大阪も電話がつながりにくく、被害の全容はなかなかわかりませんでした。テレビには倒壊した建物などそれまで見たことのない惨状が映し出され、関西出身のスタッフは家族とも連絡がつかないし、不安な中、みんなで必死に情報を集めようとしていたのを記憶しています。
30年経った神戸の様子については、1月16・17日現地を取材し「ニュースパレード」だけでなく「防災アワー」でもお伝えしていきます。

一方の能登半島地震。年末に輪島・珠洲・七尾・内灘町を取材しました。



▲ほぼ更地になった輪島朝市跡地


▲商業施設で営業している輪島朝市

今、輪島市内の商業施設で営業している輪島朝市では、1時間半、生き埋めになり腰の骨を4本折った男性に話を聞きました。
「まず顔だけ出してもらって、最後は車のジャッキで…大津波警報鳴ってるし、すぐそこで大火事起きてるし、恐怖心がヤバイ。助けてくれた近所の人たちは命の恩人」
液状化被害を受けた場所では「仕事がない、仕事場がないじゃなくて、街がなくなった。街がないということは、人が出て行って帰ってこないんですよ。できることがない。展望と言われてもムリです。あと5年は様子みないと全然わからんと思いますよ」という声も。

先が読みにくい状況の中でも、前を向き進んでいる人々にもお会いしました。
地震と豪雨で甚大な被害をうけた輪島市町野町の「もとやスーパー」本谷一知社長は「今年は復興元年と位置づけている。落ち込むのは一応終わり。受けた支援は必ず返す」
七尾市・和倉温泉旅館協同組合・宮西直樹事務局長は「率直に言って復旧は進んでいない。しかし今年は旅館21軒中9軒が営業再開となる。一歩ずつ前進している。心を寄せて見守っていただきたい。必ず復活させます」



「能登半島地震 復興支援ツアー」を企画・運営している「リブート珠洲」の宮口智美さんは、被災して道や水もまだ通っていない所も案内してくれました。
「今から来てもらうことが大切。今、来ていただけることで、少しずつ地域にお金が落ちることにつながって、お土産物屋さんは救われる。人が非常に減っているので、地域の中でなんとかしようといっても難しい」と。
複数の人から聞いた言葉…「能登を忘れないでほしい」です。



気象予報士 防災士 都庁・気象庁担当記者  伊藤佳子

メルマガ登録はこちら
Share

関連記事

この記事の番組情報


文化放送アナウンサーズ

文化放送アナウンサーズ

その他の主な出演者

みなさーん、いつも御愛聴ありがとうございます!【文化放送アナウンサーズ】です。 私たちアナウンサーはとにかく文化放送が大好き!ラジオが大好き! 気持ちはいつも…

NOW ON AIR
ページTOPへ