「イスラエルはやりたい放題でアメリカに守られてきたんです」国際政治学者が説明するイスラエルの問題点
国際政治学者の高橋和夫さんが10月16日の大竹まことゴールデンラジオに出演。パレスチナとイスラエル問題についてお話を伺った。
大竹「パレスチナとイスラエルの衝突のきっかけは、1948年のイスラエルの建国。これは1945年に大戦が終わって、その後ってことになりますね。」
高橋「そうなんですね。イスラエルができたのが1948年だから、そこから始まったっていう方が多いんですよね。でも私に言わせると、それは答案としてはBです。」
大竹「Aではない?」
高橋「最初はF、不合格から説明しますね。「この問題は2000年代の宗教の争い」というのは僕的には失格です。というのは、イスラム教ができたのは1400年前ぐらいですから、2000年も争ってるはずないじゃないですか。だからこれを書いた学生がいたら「算数が駄目」というところ始めます。基本的には、ユダヤ人もキリスト教徒もイスラム教徒も仲良く住んでたんですけど、19世紀にヨーロッパでユダヤ人がいじめられます。やっぱりどこに行ってもマイノリティだからね。」
大竹「いじめられるっていうのはドイツのヒットラーだけじゃないそうですね。ユダヤ人はヨーロッパ全土であちこちで迫害されていた。」
高橋「ええ。それで自分たちの国を作ろうという話になって、最初はウガンダに作ろうとか、アルゼンチンに作ろうとか、いろんな案があったんですけど、結局は自分たちの祖先がいたパレスチナに帰ろうということになって、19世紀末にヨーロッパのユダヤ人たちが移民で入ってきて国を作ろうという運動を始めた。」
大竹「でもそこにはパレスチナの人が住んでたわけですよね。」
高橋「だから、それはちょっと困るということで問題が始まった。19世紀末から問題が浮上してイスラエルができた時に、本格的な問題になった。だから150年ぐらいの問題ですかね。」
大竹「それでイスラエルの人たちが住むとこができたわけですよね。そしてパレスチナ人もそこに住んでたわけですよね。それだけなら棲み分けられるんじゃないかと思うんだけど。」
高橋「その可能性はなきにしもあらずだったんですけど、ユダヤ人はやっぱりユダヤ人だけの国が欲しいので、なるべくパレスチナ人には出て行って欲しい。ということで70~75万人のパレスチナ人が追い出されるんですね。その人たちがガザとかヨルダン川西岸地区の難民キャンプとか、エジプトとかシリアとかで難民になったわけです。そして1967年のイスラエルはユダヤ人が多数派の国になったんですね。でもアラブ人の中には、ここは先祖伝来の土地だからと、逃げなかった人もいるんですよ。だから今、イスラエルの人口の2割ぐらいは実はアラブ人なんですね。ユダヤ人が7割5分、アラブ人が2割、その他の人が5%ぐらい、そういう国なんですね。」
大竹「でもパレスチナの土地をイスラエルがどんどん小さくしていますよね。」
高橋「そうなんですね。1948年に出来たときは78%ぐらいで、その後1967年に戦争があって、残りの22%のガザ地区とヨルダン川西岸地区をイスラエルが制圧して、100%イスラエルの支配下に入ったわけです。でも、国際法上はガザとヨルダン川西岸地区は占領地だから、手を出してはいけないんですけど、なんとなくイスラエル側が入ってくる。ただ、ガザ地区は人口密度が高くて抵抗も激しいので、2005年にイスラエルが撤退したんですね。ヨルダン川西岸地区は手離さないで、どんどんユダヤ人が入ってきてると言う状況ですね。」
大竹「だけどイスラエルは、どんどん土地を広めていくわけですよね。これはどういうこと?」
高橋「ここは占領地ですよね。だから国際法上はイスラエルの物じゃないから、そこに入植するのは国際法違反なんですよね。けしからんでしょ? だから国連でけしからんという決議を通そうとしたら、アメリカがいつも拒否権の手を挙げてイスラエルをずっと守ってきたわけですよ。イスラエルはやりたい放題やってアメリカに守られてきたということです。」
「大竹まこと ゴールデンラジオ」は午後1時~3時30分、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。 radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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