村上信五くんと経済クン「川淵三郎さんと延長戦!日本バスケ界の救世主になった背景とは?」
毎週土曜朝9時~放送している「村上信五くんと経済クン」。
9月9日(土)の講義は、2日(土)に引き続き、Jリーグ初代チェアマンであり現在は日本トップリーグ連携機構会長の川淵三郎さんをお迎えして、リスナーのみなさんからの質問にお答えいただきながら、バスケ界の救世主となった背景、そして仕事観などを伺いました。
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【Jリーグを立ち上げる仕事のきっかけは出世コースを外れたこと】
川淵さんが頭が真っ白になったことは人生で2回ある。1回目が51歳の時。当時、古河電工の名古屋支店の営業部長で、それなりに業績も良かった。いずれ本店に戻って取締役になると思っていたが、ある日、休みで家にいたら支店長から電話があって「関連会社への出向が決まった」と言われた。信じられなくて返す言葉がなかった。「もうサラリーマン人生終わりだな」と終わった時、「日本サッカーリーグの責任者にならないか」という話が来た。当時、サッカーのプロ化なんて成功するわけないと思っていたが、世界中で一番盛んなスポーツであるサッカーが日本であまり人気がないことに疑問を感じ、第二の人生をサッカーにかけよう!と引き受けた。
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【ドーハの悲劇の時、選手たちにかけた言葉は「帰国して批判を真正面から受け止めよう」】
頭が真っ白になった2回目はドーハの悲劇。何が何だか分からなかった。ゴールを決められた瞬間、「やっぱり神様はそう簡単にワールドカップには行かせてくれない」と思った。その時、川淵さんが選手にかけた言葉が「帰国して批判を真正面から受け止めよう。日本サッカーのために君たちがひっぱっていかなければならないんだ」というもの。川淵さん本人は何と言ったかまったく覚えていないが、選手に何か気合いを入れる言葉をかけなければいけない、と一晩中考えていたことは覚えている。
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【川淵さんの物腰の柔らかさはどこから来ている?】
今では穏やかな川淵さんだが、昔はけっこう怖かった。ただ、決めているのは部下であっても「女性を呼び捨てにしない」ということ。また、常套句が嫌い。乾杯の発声も決まりきったことを言うのではなく「乾杯!」と一言で終わらせたこともある。Jリーグの開幕宣言も、みんな試合を見に来ているのだから早めに終わらせようと考え、テレビで今後放送されることも考えて、30秒で終わらせようと思った。前半の15秒でも、後半の15秒でもどちらを使われても良いように、真ん中に「1993年5月15日」という日付を入れた。
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【日本バスケ界の救世主へ】
2014年、日本のバスケ界には、JBL(日本バスケットボールリーグ)とBjリーグ(男子プロバスケットボールリーグ)の2つのリーグがあり、FIBA(国際バスケットボール連盟)から1つのリーグにできないのかと問題視されてきた。しかし、改善策が何も提示できず無期限の資格停止処分という制裁が下った結果、関係ない女子日本代表まで出場停止に巻き込まれることに。そこで川淵さんが立ち上がった。2014年3月頃、「なんとかバスケ界をまとめてほしい」と頼まれた。問題になったのは、企業名をどうするか、法人化をどうするか、資本金をどうするかの3つ。話し合ったが堂々巡りになる中、FIBAの事務局長に、2つのリーグを一つにする協会のチェアマンをやってほしいと頼まれ引き受けた。5000人収容できるホームアリーナで年間8割試合をすること、企業名は出して良い、など色々と決めてプロリーグに参入するチームを募集していった。結果、20のクラブが手を挙げた。
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新しい道を切り開く川淵さんの姿、考え方が素晴らしいなと感じました。そんな川淵さんが、終始村上さんのことをほめていらっしゃったのが印象的でした。収録後、お二人で握手しながら写真を撮っていらっしゃる様子はまるで記者会見のようでした。「もっと勉強したいことがある」と村上さんもおっしゃっていたので、ぜひまたお越し頂きたいです!
坂口愛美
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この記事の番組情報
村上信五くんと経済クン
土 9:00~10:00
「経済初心者」の村上信五が、ゲストの方に教えを請いながら 「お金」に強くなってゆく番組です。 「お金持ち」しか持っていない情報を イチ早く皆さんに提供できるよ…