「『あるもの』と『ないもの』の証明」

番組担当の白石です。

今日は「あるもの」と「ないもの」の違いについてロービジョン者の経験からお話します。

私の病気、緑内障は視野が欠けています。

分かりやすく言うと、人を見た場合、例えば右手と下半身そして顔半分が欠けていたりします。

欠けているところは真っ黒になるわけではなく、背景と同化して、半透明人間のように見えます。
(背景と同化するため緑内障初期の人はなかなか症状に気付きません。)

私のようにかなり症状が進むと、動くことに慎重になります。

例えば食卓。
コップが「ある」と認識できれば、間違いなくそれは「ある」ので倒すことはありません。

しかし何も「ない」と見えているときは「あるかもしれない」のです。

100%「ない」なら思い切り動けますが、「ない」場合は「あるかもしれない」を想定しながら動きます。

横断歩道を渡るとき、車や自転車が来ていなさそうでも慎重に渡ります。

もちろんすべての時間をそんなに神経を集中させることはできません。

主に食事や火を使うとき、外を歩くとき、段差がありそうなときに特に集中します。

逆に言えば、慣れ切っているところは油断します。

先日、会社の廊下で膝間づいて書類の整理をしている人がいました。(それも何でなんでしょう?)

熟知している会社なので普通に歩いていると、正面からその人にぶつかり思い切り覆いかぶさるという珍事となりました。

レアな光景ですが、見えている人はよけて通っていたのでしょう。その人も私が思い切りぶつかってきたので、それはビックリしたことと思います。

この経験を生かして、すべての「ない」に「あるかもしれない」と考えることは現実的に無理です。

結論は「さらにゆっくり歩く」か慣れているところでも「常に白杖を持つ」に至った経験でした。