フィリピンパブで出会い、結婚、収入安定。それでもまだまだ苦労が多い!?

フィリピンパブで出会い、結婚、収入安定。それでもまだまだ苦労が多い!?

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7月12日「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送)、大竹メインディッシュのコーナーにライターの中島弘象(なかしま こうしょう)さんが登場した。中島さんがフィリピンパブで出会った女性と結婚し、その夫婦生活、日本で暮らすリアルな苦労を描いた新刊『フィリピンパブ嬢の経済学』が現在、発売中である。

大竹まこと「フィリピンパブって、前よりかは減っているよね」

中島弘象「だいぶ減っていますね」

壇蜜「何か理由があるんですか?」

中島「フィリピンパブが日本にできたのが1980年代ごろです。当時からたくさん、フィリピンの若い女性が来て、全国各地にフィリピンパブができていました。興行ビザでたくさん来ていたのに、2005年にそのビザが規制されてしまって、若い女性が……まったくではないですけど、昔のようには来られなくなったんです。それでフィリピンパブが姿を消していった……という歴史的な背景があります」

減少したとはいえ、消滅するわけではなかった。中島さんは大学院生だった2011年、当時フィリピンパブで働く若い女性はどうやって来ているのか、と思ったことが、研究の始まりだったという。大学院とバイトを終え、フィリピンパブに通う、という生活を半年ほど続けた、とも振り返る。中島さんはその中で出会った女性、ミカさんと結婚する。

大竹「失礼だけど、中島さんは(結婚したころ)そんなに収入があったわけじゃ……」

中島「はい。この期間、大学院生で、卒業したあとも就職活動に失敗したので、彼女のヒモ状態だったんですよ。結婚してからも彼女が稼いで、僕はアルバイトに入っていました」

大竹「ヒモでね。それは何年間ぐらい?」

中島「ヒモの期間は3年ぐらいあった気がしますね」

壇蜜「ヒモの期間って(笑)」

大竹「少し立ち入るけど、中島さんのご両親はどう考えていたんですか?」

中島「交際し始めたとき、反対していました。段々『交際は認める』となっていったんですけど、それはミカの人柄もあるし、会って話をしてもらってもいたので。結婚するときは両親から『本当にいいのか?』と聞かれました。そして結婚したら『ミカさんがかわいそうだ。おまえが働かないから』と(笑)」

壇蜜「まあ正論(笑)」

中島「のんびりした生活をしたんですけど、転機がありまして。妻が妊娠をしたんです。父親になる、がんばって働かないといけなくなる。日雇いの工事現場に毎日行くようになり、妻もお腹が大きくなるまでフィリピンパブで働いた。大きくなってから辞め、僕も工事現場で働きつつ(前著)『フィリピンパブの社会学』を出させていただき、そのあと地元の印刷会社に正社員として就職しました。執筆活動も同時にしています」

壇蜜「収入はだいぶ安定したということですか?」

中島「安定しましたし、就職したあとに第2子も生まれました」

収入は安定したが、国際結婚には難しい部分も多々あるという。中島さんが語った詳細について、詳しくはradikoのタイムフリー機能で確認してほしい。

「大竹まこと ゴールデンラジオ」は午後1時~3時30分、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。 radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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