卒論書いてたら、雑誌掲載逃した!浦沢直樹、デビューを語る!
6月3日の「純次と直樹」(文化放送)は、「この漫画家がすごい!浦沢直樹」と題して、漫画家デビュー40周年を迎えた浦沢直樹がデビュー時代について高田純次に語った。
高田「なんと浦沢さんが漫画家としてデビューして40周年を迎えることになりました。おめでとうございます。40年前というと、私が36歳の時、“笑ってる場合ですよ!”とかね、仕事をやめてそっち方面に行ったころですよ。デビュー作は1983年ということなんですが、そのタイトル覚えてます?」
浦沢「こちらにあります、別冊ビッグコミック、ゴルゴ13シリーズに載ってるものがデビュー時の作品です」
高田「(本を読んで)シンプルだけど、今の浦沢さんのベースがあるな」
浦沢「ですね。新人賞が1981年の年末だったんですよ。ちょうど卒論の時期に重なりまして、この時の作品が44ページっていう半端に長かったんですよ。雑誌に載せるには長すぎる。卒論を書いていたら、“時期を逃した”って言われて。新人賞を取った作品が雑誌に載ることはなかった。当時、雑誌に載るのは大変だったんです。手塚治虫さん、さいとう・たかをさん、石ノ森章太郎さん、藤子両先生、白土三平先生、そういう人がバリバリ描いてる雑誌だったんです。ビッグコミックは」
高田「みんな有名ですね」
浦沢「だからどこの馬の骨かわからないような新人が載る隙間なんてないんですよ」
高田「でもうまいじゃん」
浦沢「それで、ゴルゴ13の端っこのところ、誰も見てないから描いていいよって言われたんですよ。なんで、この話をしてるかというと、2000年に出した“初期のURASAWA”っていうデビュー当時の作品を集めた本があって、それの完全版がデジタル限定で配信スタートしてるんです。全28作品、650ページの大ボリューム」
高田「40年前でしょ。浦沢さんのベースは完全に出来上がってるね。キャラクターもいいし、カットもいいし、女の子がすでにきれいだもん」
浦沢「何しろ5歳くらい描いてますので、20歳の時にはキャリア15年になるんですよ」
高田「誰かの感化を受けて、というのはないの?」
浦沢「いろんな人のマネしましたよ」
高田「でも、誰のマネにもなってないもんね」
浦沢「いろんな人をマネしすぎて、全部、混ざっちゃったんだと思います(笑)」
「純次と直樹」は土曜夜6時30分から、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。 radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。