東日本大震災から12年、千葉県旭市は今…
文化放送をキーステーションに全国32局の制作協力で月曜日から金曜日の午後5時からお送りしている「ニュースパレード」
※写真 旭市防災資料館・管理人の辰野順一さんと「忘れじの時計」
時計は多くの人が犠牲となった3波目の津波が押し寄せた5時26分で止まったまま…
東日本大震災からまもなく12年
2月23日の放送では、東北3県に比べて報道することが少なかった千葉県旭市の現状や課題についてお送りしました。
太平洋沿岸、九十九里浜を有する旭市。
震災当時、最大7.6メートルの津波が押し寄せ、死者・行方不明者合わせて16人、3800棟以上が全壊・半壊、広い範囲での液状化現象といった甚大な被害が発生しました。
飯岡海水浴場すぐ近くにある旭市防災資料館
管理人の辰野順一さんが丁寧に説明してくださいました。
震災当時、旭市消防本部の職員だった辰野さんは、海岸線から150メートルほどしか離れていない郵便局に避難していた住民の救助に向かわれたそうです。
夜11時過ぎ、少し離れた駐車場に車をとめて降りた瞬間ゾッとしたのは「海鳴りの音」。
倒壊した瓦礫が散乱した中で、海鳴りの音が今にも津波が迫ってくるようにゴ~ッと響いていたとか…。
その記憶が数年間、普段仕事をしていてもフラッシュバックし、そうすると胸騒ぎがして仕事が手につかなかったこともあったそうです。
辰野さんは「12年ということで、津波に対する意識は薄れているところもある。そこをもう一度思い出してもらいたい」とも話していました。
防災資料館が入っている「いいおか潮騒ホテル」は津波避難ビルに指定されていて、緊急時には外階段から屋上に避難できます。
地上11メートル、約600人を収容することができます。
地上にいると海は見えません。堤防は見えるのですが…。
堤防の高さは当時4.5メートルでしたが、今嵩上げして6メートルになっています。
NPO法人「光と風」は、被災者の想いや経験を伝えようと「復興かわら版」を発行しています。
理事長の渡邉義美さん(向かって左)と理事で語り部の高橋進一さん(右)
「復興かわら版」はこの3月2日付で68号となり、6000部が配られました。
似顔絵のイラストが好評だそうです。
渡邉理事長は「『復興かわら版』を継続することが、復興や災害の検証という意味で非常に重要な役割を担っている。何とかして継続していきたい」と話していました。
一方で「同じメンバーがほとんどもう70代から80代、活動自体が非常に難しくなっている。地域も自営業などの事業そのものが少子高齢化もあり難しくなっている。賑わいが徐々に少なくなり、活動を支える人たちが本当に少なくなっている」と直面する課題を上げていました。
また、語り部の高橋進一さんは
「当初はお客様がバスで毎週のようにずいぶん来てくれた。それが月日が経つにつれて、だんだん少なくなり、ほとんど来なくなってしまった。
私達の経験を伝承して、次の時代に語り継いでくれるような、私達の活動に賛同し興味を持ってくれる若い人たち。そういった人に引き継いでもらいたい。そういう人を呼び込んだり養成することはとても大変」
と話していました。
また「災害はいつどこであるのかわからない。自分の命は自分で守る、誰かが助けてくれるだろうとか、そういう考えはだめだと思う。
自分は絶対に助かるんだと。命を落とさない日頃からの準備と行動を常に!」と…。
今年2023年3月11日(土)午後2時から、
去年再び公開が始まった仮設住宅のある広場で「東日本大震災の記憶と教訓を語り継ぐ集い」が開かれる予定です。
震災当時の写真が展示されたり、紙芝居・献花などが行われる予定です。
気象庁担当記者 気象予報士・防災士 伊藤佳子