「1歳で両親に捨てられた」子どもはどうやって湘南のラジオDJになったのか? DJ・HAGGYさんに聞く
湘南エリアで絶大な人気を誇り、文化放送でも番組を担当。今年の箱根駅伝中継でも登場していただいたマルチタレントのDJ・HAGGYさんが2月20日のくにまる食堂にご来店。数奇な半生を伺った。
邦丸「こちらにある「1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話」という本を読ませていただきました。ラジオの喋り手もいろんな人生を送ってることはわかってますけども、HAGGYさんの場合は1歳のとき両親が要するに育児放棄した?」
HAGGY「うーん、どうしてこうなったのか親戚からも聞いたことがないので、言わないので、もう分かんなかったんですが、もう育児放棄で。赤ん坊のときは信州の上田にいたらしいんですよ。そうしたら両親が牛乳とキュウリしかあげてないって言うんで、大家さんがびっくりして、親父のお母さんに連絡して、茅ヶ崎の方に預けられたんですよね。」
邦丸「そこで叔父さんと叔母さんのお宅に預けられた。」
HAGGY「で、3歳ぐらいからなんとなく物事がわかるようになって、ぼくは幼稚園も行ってないので周りの友達と比べて自分だけ違うなと思って。とにかく、自分が我慢してれば1日が終わるんだ、早く終わればいいなっていう感じで生きてたので、あんまり子供の時代は純粋に楽しいことってなかったんですよね。」
邦丸「そしてラジオに触れたのは、入院した時なんですって。」
HAGGY「小学校5年生の時ですね。京都に夏休み行った時、叔父と叔母が連れてってくれたんですけど、どうしても楽しくないんですよ。叔母も最初は笑ってるんだけど、とつぜん晴天の霹靂じゃないですけど、いきなりなんで怒られるのかよく分からない。ちょっとお腹の具合も良くなくて、全部戻してお医者さん行ったら、24時間以内に手術しないとこの子は命がないと言われて、8月の1ヶ月間ずっと入院。1人でやることがないのでずっとラジオ、KBS京都を聞いて。関東の子なので、京都弁はすごく優しく聞こえて、「あ、いいなー」って。自分に語りかけてくれる家族のように思えてきて。それでこのラジオ業界を目指そうと思って。当時目指したのはアナウンサーだから大学出なきゃいけないということで、どうにか働きながら日大の通信教育部に行って。」
邦丸「一応、日大の後輩ですね。」
HAGGY「8年ぐらいかかりましたけどね。(笑)で先週の18日土曜日。僕の大先輩ですごく可愛がってくれている元・読売テレビアナウンサー、羽川英樹さんがKBS京都ラジオでやっている番組に出ました。「実はここが僕の原点なんです」って。」
この後、HAGGYさんの人生をさらに深掘り!中学2年で家を出た話、国家公務員になった話、学校の教員になった話、ニッポン放送のアナウンサー試験を受けた話…などが気になる人はradikoのタイムフリー機能でご確認下さい。
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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