屋舗要、チームに尽くそうと誓った「あの人の直電話」とは?
1月19日(木)の「くにまる食堂」(文化放送)に、元プロ野球選手の屋舗要さんが2度目のご来店! 野球よりも鉄道写真や鉄道模型、ラベンダー栽培という趣味の話がメインとなる屋舗さんだが、今日は珍しく巨人時代の話からスタートした。
野村邦丸アナ「屋舗さんといえば、兵庫県の高校野球の名門・三田学園から1977年、横浜大洋ホエールズにドラフト6位で入団、足が速くて、加藤博一さん、高木豊さんと「スーパーカートリオ」を結成、スポーツ紙の一面をよく賑わせていたわけです。1986年から3年連続でセントラルリーグ盗塁王を獲得。その後ジャイアンツに移籍しまして、この話は以前、屋舗さんが『いい話』として披露してくださいましたが」
屋舗要「そうでしたね」
邦丸「1994年、長嶋監督のもとでセンターを守っていた古巣横浜スタジアムのゲーム。非常に悪天候の中で打ちあがったローズのセンターフライ。それを名手と呼ばれた屋舗要が見失って、バンザイをしたままエラーをしてサヨナラ負け。記録はツーベースでしたが」
屋舗「はい」
邦丸「その時の、屋舗要の落胆ぶりといったら。家に帰っても食事も喉を通らず、『これで俺はもう辞めるんだ』と。言った時に1本の電話がかかってきた。ここからは屋舗さん、どうぞ!」
屋舗「長嶋さんが直に自宅まで電話してきてくださいましてね、『屋舗おまえ落ち込んでるんじゃないだろうな?あんなのおまえが捕れないんだったら誰も捕れないよ』って。本当に凄い風がホームから吹いていまして、雨が降っててボールが見えなかったんですね。でもまあ、長嶋さんはセンターに俺を入れた以上は……もちろんどんなボールでも捕らなきゃいけないっていうのが仕事だったんだけれども、あの時は正直ね、ボールが無くなったんですよ。ですけどね、長嶋さんは『おまえ落ち込んでるんじゃないぞ、明日ちゃんと来いよ?おまえに捕れないボールは誰も捕れないんだから』ってお話ししていただきましてね、『よし、やろう!』と。スタメンで出たい気持ちはあったんですけどね、『よし、じゃあ俺は代走でも守備要員でもいいから、チームの勝利に役立てるんだったら、それに徹底しよう』と。あの時に決めましたね」
邦丸「そもそも、横浜からジャイアンツに移る時も長嶋さんに『ぜひ屋舗が欲しい!』と言われて入ったわけですから」
屋舗「そうですね、横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズになった初年度、93年のオフですね。選手が大量解雇で私も自由契約になりまして」
邦丸「長嶋さんが直接獲得を申し出てくださって、確かその年ですよね、日本シリーズ」
屋舗「初めて出ましたね、日本シリーズ。第1戦でファインプレーみたいなことを…『ファインプレーもどき』なんですけどね、やりましてね。それを長嶋さんが凄く褒めてくれまして。『あれでチームに勢いがついた』と」
邦丸「第1戦でセンターに上がった打球、『これはもうタイムリーだろう』と思っていたところ、屋舗さんが俊足を飛ばしてダイビングキャッチ。これが長嶋さんにとって初の日本一に繋がったんですね」
屋舗「あれは私の野球人生にとって、最高の一瞬でしたね」
邦丸「いい話でしたね」
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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