箱根駅伝6位の早稲田。 世界を知る指揮官花田勝彦と変貌を遂げたエース井川龍人
今回、予選会からの再出発となった早稲田は、箱根駅伝本大会で6位と奮闘し、シード権奪還に成功した。
「往路、復路ともに10区間、ほぼ想定通りでした。本当に選手たちはよくやってくれました」
花田勝彦駅伝監督が初めて母校の指揮をとった箱根駅伝で、10人の選手たちは見事な走りを見せた。
そのなかでも活躍が特に光ったのが、3区の井川龍人(4年)だろう。区間賞こそ中大の中野翔太(3年)に譲ったものの、井川は7秒差の区間2位と好走。早稲田は2区を終えて14位と劣勢に立たされていたが、井川が9人を抜いて5位に押し上げる活躍を見せた。エンジのエースとして、チームに勢いをもたらせる役割を果たした。
今季の井川の活躍は、トラックシーズンから目をみはるものがあった。
5月の関東インカレ(1部)10000mでは2位。6月22日のホクレン・ディスタンスチャレンジ20周年記念大会10000mでは、積極的にレースを進め、市田孝(旭化成)と日本人トップを争った(結果は日本人2番手の4位)。井川自身がこれらの結果に満足を口にすることはなかったが、昨年度までと比べて、高いレベルで安定感が出てきたのは明らかだった。
もちろん昨年度までの井川も、着実に力を付けていた。3年時には10000mで初めて27分台をマークしている。その一方で、試合ごとに波が大きく、安定感に欠けていたのも事実。特に前回の箱根駅伝は、万全な状態で迎えられず、1区16位に終わっている。スターターの役目を果たせず、チームもシード権を逃した。
今季の井川は何が変わったのか――それは、花田監督との出会いが大きい。
「彼はある程度自由にやってきて、そこが良かった面もあった。しかし、ちょっとルーズになり過ぎて、コントロールできていないところがあったようです。本人は一生懸命やろうと思っていても、それがなかなかできないし、それを周りにも分かってもらえずにいました」
花田監督が母校に戻ってきた当初、当時の井川の状況をこのように感じたという。
一方の井川も、4年目は副キャプテンという役職に就いたこともあり、「大会で結果を見せて、チームを引っ張りたい」という思いが芽生えていた。そのモチベーションを花田監督がうまく引き出したというのが、表現としては適切なのかもしれない。
早稲田の自主性を重んじる伝統はこれまでと変わらない。しかしながら、例えば、選択肢を提示された時に、2度のオリンピックに出場した花田監督に「こっちをやったほうがいいと思うけどなあ…」などと言われてしまえば、どうだろう……。自然とその言葉にリードされて、選択をするようになっていったのではないだろうか(もちろん、これは井川だけに限ったことではないが)。
井川の練習に臨む姿勢も変わっていった。
「今までの練習もきつかったんですけど、より自分を追い込む練習が増えて、毎回毎回緊張感を持たないといけないし、練習に対しての準備が必要になりました」
井川ほどポテンシャルの高い選手だと、ある程度強度の高い練習でもこなせてしまうものだ。ところが、花田監督が課すメニューは、ちゃんと準備をして臨まなければならなかった。(おそらくスピード重視の練習は得意だったが、花田監督が課す“土台作り”のじっくり走り込むような練習が苦手だったのだろう)
「花田さんから与えられた練習しかこなせていないし、疲労が大きくて、たまに練習を飛ばしてしまうときもある。区間賞やトップを狙うんだったら、与えられた練習を8割ぐらいの力でこなしつつ、ジョグなど他の面で泥臭く努力していく必要があるのかなと感じています」
夏の終わりに井川はこんなことを話していたが、これこそ、井川の意識の変化の現れだった。
生活面に関しては、花田監督自身にも共感できることがあった。
「私自身、早く寝たり、アラームをかけたりしても、起きられないことがあったんです。競技者として結果を残すことができても、足りないものがたくさんありました。それを井川にも話しました。“俺も起きられなかったんだよ”とかね」
監督のそんな意外な一面を聞かされては、選手としても救われる思いがしたにちがいない。
「井川には“自分一人でやろうと思わなくて、周りの力をうまく借りることも大事じゃないの?”って話をし、周りにも“井川も一生懸命やろうと思っているけど、なかなかできないから、みんながもうちょっと力を貸してくれれば変わるんじゃないかな”って話をしました」
仲間のフォローもあって、井川自身、“結果を出したい”という思いは、いっそう強くなったのだろう。
一方で、「僕は結構集中力はあるんですけど、モチベーションが低下しやすいので、うまく抜かないと、やる気が出てこない時がある」と井川は自身の性格を分析するが、花田監督もその性格を理解していた。
トラックシーズンが終わった7月後半から8月頭や、箱根予選会、全日本大学駅伝と試合が続いた後は、井川が気疲れしているのを認め、リフレッシュさせた。こうやってメリハリを付けたことで、大事なレースにきっちり合わせられるようになった。
「現役時代にすごい結果を残されていますし、その分、説得力があって、相談しやすい」
井川は、指揮官に大きな信頼を寄せている。
安定して結果を残せるようになった一方で、なかなか勝ち切れないという課題は未解決のままだ。だが、これはこれからの伸びしろの部分だ。もともと爆発力のある選手だけに、必ずや解決の糸口はあるはずだ。
「花田監督は世界で戦ってきた方。監督の選手時代の実績を超えられるぐらいの選手になりたい。それも一つの目標なのかなと思っています」
昨夏、こんな言葉を井川は口にしていた。その目標を実現させることこそが、大学ラストイヤーに出会った恩師への最高の恩返しとなるだろう。
井川の活躍もあって早稲田はシード校に返り咲いた。“名門復活”の兆しは確かに見えている。来季は「1つ2つ上の目標を立てて、1年間取り組んでいきたい」と花田監督は言う。
やはり早稲田ファンが期待するのは、2011年の第87回大会以来の箱根駅伝総合優勝だろう。当時、1区を担い先陣を切ったのが、東京オリンピック男子マラソン6位入賞の大迫傑(Nike)だった。
井川が志すように、また、大迫や花田監督自身がそうであったように、世界を目指すのが早稲田のエースでもある。
新たなエース育成は、花田監督にとっての次なる課題だ。そこで、クラウドファウンディングで資金を募り、トップレベルの選手を海外に遠征させるというプランを立てており、2月中旬から開始予定だという。
“箱根の優勝”と“世界で通用するエースの育成”。それら2つを実現することは決して簡単なことではない。それでも、その難題に挑戦し、成し遂げてきたからこそ、早稲田が“名門”と称されてきたのだろう。
花田監督の挑戦は始まったばかり。来年、再来年とどんなチームを作り上げていくのか、その手腕への期待は大きい。
TEXT&PHOTO
和田悟志(Wada satoshi)
1980年、福島県生まれ。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスになり、陸上競技やランニングを中心にスポーツライターとして活動。カメラマンとしての顔もあり。最近の自慢は村上宗隆の56号ホームランをバッチリ撮影したこと。野球はスワローズファン。
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