4000万枚超のシングルを売り上げた織田哲郎の意外すぎる幼少期とは?「油絵ばっかり描いてました」
日本の歴代作曲家売上ランキングで、筒美京平さん・小室哲哉さんに次ぐ第3位の織田哲郎さんが12月23日のくにまる食堂にご来店。実は野村邦丸アナと1歳違いの織田哲郎さんは、子どものころ画家の道を目指していたという。
邦丸「今日は織田哲郎さんの音楽のルーツをたどるということで、最初にいいなーと思った、グループとか歌手とかは誰ですか?」
織田「一番最初って言うとダークダックスかも知れないですね。我々のちっちゃい頃ってダークダックスは結構メジャーな大スターじゃないですか。ダークダックスの「ロシア民謡」がうちにあって、それがすっごい好きだったんですよ。小学校の低学年とかでしたね。」
邦丸「その後、お父様のお仕事の関係でイギリス・ロンドンに行きました。ここでの音楽体験は、後の織田哲郎さんにとっても大きかったそうですね。」
織田「ダークダックス以降、洋楽が好きになって最初に買ったシングルがモンキーズ。それからサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」とかを子供の小遣いで買ってたんです。そういうタイミングでイギリスに行って、その時は音楽を自分がやろうとは思ってなかったんです。イギリスにいる間は基本的に私、画家になりたいと思ってて、ただレコードを聞くのが大好きだったんで、ひたすらレコードを買い集めて、レコードを聞きながら油絵を描くのが自分にとっての至福の時間だったんです。」
邦丸「イギリス時代に聞いてたのはどんな曲ですか?」
織田「今思うととても面白い時代なんですよ。71年から73年ぐらいなんですけど、ロックの名盤ってこのころに出たものがとても多いんです。例を言うと、私はグラムロックが大好きだったんですけど、Tレックス、デビッド・ボウイ、他にもスレイドとか色々。それとプログレ、イエスだったりエマーソン・レイク・アンド・パーマーだったり。そういうのとは別にジョン・レノンがイマジンを出したり、今考えるとちょうど面白い時にリアルタイムでイギリスで経験できたのは、ありがたかったなと思います。」
邦丸「聞くだけじゃなくて自分も音楽をやろうと思ったきっかけはなんだったんですか。」
織田「その後、親はまだイギリスにいたんですけど先に日本に帰ってきて、両親は2人とも高知の出身で親戚もみんな高知なので、結局高知の学校の寮に入ったんですよ。その時に吉田拓郎さんとか井上陽水さんとか、神田川とかもバーっと出てきて、いわゆるフォークソングブームだったので寮のそこら中にフォークギターが置いてあったんですよね。元々楽器で遊ぶことは子供の頃からずっと好きだったんですよ。小学校中学校とブラスバンド部に入って部室に置いてある楽器も全部いじったりしてて、それで置いてあるフォークギターをいじり出したら、もうそこからパタッと油絵を一切書かなくなっちゃった。」
邦丸「画家になるつもりだったのに。」(笑)
織田「親にも言ってたんですよ、俺は画家になるって。親も「やるならしっかりやれよ」って言うぐらい真剣だったはずなのに、ひたすらギターを弾くようになっちゃって、そこからですね。」
邦丸「やはりイギリスでの体験・経験が大きかったんですかね。」
織田「あれは大きかったですね。自分は画家になる気でしたから、こういう音楽をやりたいとかも思わずに、ひたすらレコードを買いあさって、ひたすら聞いたんですよ。そのとき、これがいいとか思っていたらそこばっかり聞くんでしょうけど、その時の私は単純にリスナーですから、もうハードロックからプログレからフォークからモーダウンから、ありとあらゆるものをひたすら聞き続けてたわけです。だからギターを弾きだした頃には、音楽の蓄積は随分人より多かったと思うんですよね。言葉としての理屈は知らなくても、こういう時にこうなるのが「イカしてるよね」みたいなことを把握しながら聞いてたんで、だからギターでコードを習った時に、「こういうことね」って全部掴めた感じでした。」
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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