右と左がわからない……。むしろわからないほうがいい!?
「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」(文化放送)、今週は出演者をシャッフルして放送。12月21日は哲学研究者の永井玲衣、ジャーナリストの青木理、西川あやのの3名でお届けした。特集コーナーは「右と左がわからない」と題し、政治的、思想的な傾向や立場を示す「右翼・左翼」「右寄り・左寄り」といった言葉について語り合った。
西川あやの「右と左とはなんなのか、から考えます。右・右翼・右派は伝統的、歴史的につくられてきた慣習や制度、思想、文化などについて、淘汰されてきたものだから価値がある、という考え方。左・左翼・左派は、過去の伝統よりも人間の理性の力を信じ、理性の描いた理想に向かって、現実の社会を変革していこう、という考え方。……だと思いますか?」
永井玲衣「これも切り口によって説明が変わりうる、というのがおもしろい。と同時に困難な言葉だな、と思います(笑)。語源から考えるとイメージつきやすいかもしれませんね」
西川「語源ですね。1789年、フランス革命期の憲法選定国民議会で、王や貴族の維持を支持する勢力が議長席から見て右側の席にいたため、保守的な考えを右翼。一方、左側には旧勢力の排除を主張する共和派、急進派が陣取っていたため、革新的な考えを左翼と呼ぶようになりました」
青木理「右や左という言い方をすると、もちろんこれが語源なんですけど……。そのときの政治体制によっても違うわけじゃないですか。王政時代には王や貴族の側にいたのが右翼だったし、そうでないのが左翼だった。右を保守と言いますけど、これも歴史的事実で、『人間の理性ってそんなに信用できるのか?』と」
西川「ええ」
青木「人間は往々にして、これが理想だ、理性だ、と突き進んで酷いことに、ということもたくさんあったわけですよ。かつての共産主義運動なんかもそうですし。日本における左翼運動みたいなことも、そういう感じで間違えた歴史がある。人間がつくってきた歴史とか伝統というのは、それが続いてきた以上、ある意味、本質的な理性みたいなものが埋め込まれている。だから守ったほうがいいんじゃないですか、というのが保守でもあるし」
西川「ええ、ええ」
青木「ただしそれが正しいのかといえば、東京工業大学の中島岳志さんがよくおっしゃっているけど、保守って古い考え方を守るだけじゃなくて、時代や社会によって微修正を加えていくと。中島さんの言葉を借りれば『永遠の微修正こそが保守』だと。そう考えれば保守と左翼、保守とリベラルって、そんなに違わない、とも言える」
西川「うん……」
青木「つまり微修正をしながら理想を目指していくか、頑迷固陋に古いものだけを守るのか。これまたどうなの、ということも言えるわけだから、右や左という分け方と同時に、保守とリベラルとか、保守と進歩、保守と革新……。いろんな言い方があるけど、一概にこれが保守だ、これが右だ、というふうに一刀両断できないところはありますね」
西川「物事に対する表現の主張の仕方で、左とか右とか言われてしまうことがあるようにも思いますね」
永井「保守はブレーキで進歩はアクセル、と説明する人もいますね。では保守がブレーキをかけ続けるか、といえばそんなことはなくて。反動という保守、改革保守、というのだってある。近代化も取り込みつつ、新たな形で現状維持する、みたいな方法だとか。本当に種類があるので、『右と左』というのは実際、『わからない』というのが本質だと思いますね」
「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」は毎週月曜~金曜の午後3時30分~5時45分、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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