あの松田優作に悩み相談!道に迷う若かりし石橋凌の心に刺さった言葉とは?
伝説的ロックバンドA.R.B.のボーカルとしても有名なシンガーで俳優の石橋凌さんが11月25日のくにまる食堂にご来店。音楽と俳優の2つの道に進んだきっかけについて伺った。
邦丸「石橋凌さんって言うと、A.R.B.のことは知らないけど役者として存じ上げてる、という方も多いと思うんですが、そのきっかけが松田優作さんだったそうですね?」
石橋「(17歳から19歳までの約2年間)イタリアンレストランでアルバイトをやってたとき、なかなか音楽でプロになるチャンスがなかったんですね。シチリアで修行したマスターから「石橋君、ミュージシャンは諦めて、イタリアに行っておいで」と言われて、8割方コックさんになる道もあるのかなと思ってたんです。そこに福岡のラジオ局のディレクターの方から電話がありまして、「今東京でA.R.B.というバンドが出来つつあるんだけど、ボーカルが決まんないらしいよ。君、オーディション受けなさい」と言われて、これが本当に運命の分かれ道の電話でした。それでデビューできたんですが、思うところがありまして、音楽を止めて田舎に帰ろうと思ってた時に出会ったのが松田優作さんだったんですね。」
邦丸「突然出会ったわけじゃないですよね。」
石橋「原田義雄さんのお宅で毎年忘年会・新年会があったんですが、ある年に行った時、今日は優作さんが見えてるっていう声がどこかが聞こえてきたんですね。その時、本当に直感だったんですよ。今自分が抱えてる悩みや問題の相談に乗ってくださる方はこの方だと思いまして、いきなり優作さんが飲んでらっしゃる前で正座をして「石橋といいますが相談に乗ってもらえませんか?」と言って。そこからですね。」
邦丸「その時はもう優作さんはものすごい存在でしょ。相談に乗って下さいって言ってどうしたんですか?」
石橋「で、「なんだ?」とおっしゃるので「ちょっと色々悩んでます」と言ったら「分かった。いついつウチに来なさい」ということで、それまでのレコード、CD、DVDなんかを持ってお宅にお邪魔したんですね。そして、それまでの経緯を全部話しました。そうしたらずっと腕を組んだ聞いてた優作さんは「分かった」と。「お前がやってきたことは間違ってないと思うよ」と。「ただ日本っていうのは欧米のようにプロデューサーシステムというのが確立されてないので、セルフプロデュースで行くしかない。例えば目の前にある土に穴を掘って種を撒いて水をあげて出てきた芽をちゃんと育む。また次の年も穴を掘って種をまいて水をあげる。これをやるしかないんだ」っておっしゃるんですよ。「それを手を抜かすにやってると、絶対どこかで見てる人がいる。その人が近づいてきた時に弾ければいいじゃないか」とおっしゃったんですよ。その話を聞いた時、なんかものすごく楽になったんですね。で帰り際に「お前がいる音楽の世界よりも、俺がいる映画の世界の方が大きいから、いつかお前は映画で名前と顔を売れ」とおっしゃったんですよ。それから半年後に呼ばれた時に、結果優作さんが監督されることになった「ア・ホーマンス」という映画の台本がありまして、「これをやれ」とおしゃったんですよ。」(笑)
邦丸「すごいねぇ。」
石橋「パラッと見たらものすごい大きな役だったんですね。「本格的な、こういう作品が初めてなんで…」って言ったら「お前はできないんだから芝居はするな」と。「ただミュージシャンで培ってきたフィーリングだとかニュアンスだとかを現場で出せ。それを全部俺が拾うから」っておっしゃったんですよ。その時「今までやってきたバンドを、茶の間に売るための宣伝でいいですか?」って言ったんですね。殴られるの覚悟で。そしたら3~4秒、間がありました。いよいよパンチが飛んでくると思ったんですが、ニコッと笑って「まあそれでいいよ」ということで、お受けしました。」
「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。
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