台湾映画「擬音」寄稿文 江口洋子(台湾映画コーディネーター)
◆台湾ではドキュメンタリー映画が普通に人気
台湾ではドキュメンタリー映画の製作が活発で、映画祭や上映会だけでなく劇場で公開され、”普通に見る映画”として親しまれている。
長い統治の歴史の中で、最初は統治者側の社会的矛盾を覆い隠すための道具として利用された時代や、政府主導の教育や宣伝的なものがあったが、1960年代後半から徐々に新しい作家達が”自分たちの生活や社会”を描く作品が生まれた。
そして1990年頃から民主台湾のアイデンティティを追求するツールとして作品を世に送り、興行成績も映画賞も、劇映画と同じ土俵でしのぎを削っている。
ドキュメンタリー映画の活況は、台北電影節でも証明されている。2010年の『乘著光影旅行(風に吹かれて―キャメラマン李屏賓(リー・ピンビン)の肖像)』(姜秀瓊・關本良共同監督)から『沉沒之島』(黃信堯監督)、『爸爸節的禮物-小林滅村事件首部曲』(羅興階・王秀齡共同監督)、『金城小子(Hometown) Boy』(姚宏易監督)、『築巢人(A Rolling Stone)』(沈可尚監督)、『不能戳的秘密2:國家機器』(李惠仁監督)と、なんと2014年まで5年連続で最高賞の100万元大賞を獲得しているのだ。その後も2019年に『去年火車經過的時候』(黃邦銓監督)、2021年『捕鰻的人』(許哲嘉監督)、2022年『神人之家』(盧盈良)とドキュメンタリーの受賞が続く。
専門家が選ぶ映画賞だけではなく、興行収入でも劇映画とならぶ健闘をしている作品も少なくない。その筆頭が、齊柏林(チー・ボーリン)監督作品『天空からの招待状(原題:看見台湾)』だ。美しい自然と環境汚染によってそれが破壊される様子をヘリコプターからの空撮による映像で見せ、感動と問題意識を呼び、ドキュメンタリーとしては最大の2.2億元という興行収入を上げた。歴代順位でも、劇映画に混じって18位という見事な成績を残している。
こういった土壌の中で、クリエイターたちは自分が追求したいテーマを記録し、次々と発表し続ける。何故こんなにも多くのドキュメンタリーが作られるのか…。それは、ドキュメンタリーからスタートし『光に触れる(原題:逆光飛翔)』、『共犯』など劇映画でも高い評価を受ける張榮吉(チャン・ロンジー)監督のインタビューでわかった。
「台湾には撮りたいテーマ、撮らなくてはいけないテーマがたくさんあるから」
かつて韓国のイ・チャンドン監督が、台湾のドキュメンタリー映画はどうしてこれほど素晴らしいのかと不思議がったそうだが、”社会を映しだす鏡”であるドキュメンタリー映画は、政治や社会問題から人々の暮らしの隅々まで台湾のアイデンティテイーとも大きく関わり、監督たちの創作者魂を震わせている。そしてそれをしっかりと受け止める台湾の観客達がいることが、台湾映画の底力となっているのではないかと思う。
◆『擬音』公開までのドキュメンタリー
さて、王婉柔(ワン・ワンロー)がどうしても撮りたかった胡定一(フー・ディンイー)の40年に及ぶフォーリー人生を記録した『擬音』。2016年に金馬映画祭で上映されたのだが、この時はチケットがとれず涙を飲んだ。それほどに映画祭では人気だった。翌年の一般公開時に見に行き、冒頭からその映像のセンスに引き込まれた。数々の証言者により語られる映画製作の裏側と、職人胡定一の生き様、この監督はただ者ではない、と思い調べると、ネットで検索して出てきた写真は若い女性だった。台湾は女性監督が多いものの、このシブい音響効果に焦点をあてたことにちょっと驚き、早速配給会社に連絡し話を聞きに行った。監督が語る製作の経緯や思いにますます気持ちが高ぶった私は、今も続いている台湾文化センターでの上映会でこの映画を日本の皆さんに見せたいと思い、取材後に日本語字幕さえ付けられれば上映できるので、DVD発売の時に日本語字幕をつけたりしませんか…と聞いた。その時は考えてみるとだけ言った監督から、数日後「私が字幕を付けるから、翻訳者を紹介して」と連絡がきた。すぐに親しい台湾在住の日本人の友人に声をかけ、日本語字幕作業の話が進んだ。字幕製作というのは、通常専門の字幕製作会社に依頼するのだが、何でもできる監督はご自身で全て字幕製作をして下さった。こうして監督と友人のボランティアでできあがった日本語字幕は、後にオファーがあった東京国際映画祭での上映でも使われた。
そして、東京国際映画祭で本作に興味をもってもらった配給会社太秦と権利元を繋ぎ、今日の公開に到ったことは、コーディネーターとして本当にうれしい。
江口洋子(台湾映画コーディネーター)